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インドに愛されし者と自覚した日

21世紀になっても
「インドには呼ばれたものしか行けない」
という都市伝説みたいな事が言われていることに驚いたのだけど、

それはあるかもしれない

って思ったエピソード。


南インドケーララ州でのアーユルヴェーダの研修を終え、72時間ほど列車に揺られてデリーにたどり着き、その後10日ほどヒマラヤのふもとにあるダラムサラで過ごしインド出国当日、長距離バスで再びデリーへ戻ってきた早朝の安宿街、フロントでの出来事

宿帳にひととおり記入を終え、ではパスポートをはいけん
という段になって初めて気づいた


パスポートが...ない!!!


マダム、あのソファを使ってゆっくり探していいから

と言ってくれた優しいフロントのお兄さん。しかし探せど探せど出てこない。


悪いけど、パスポートがないと泊められない。大使館に電話するといいよ

と慰めてくれる。
時は土曜日朝7時。
在インド日本大使館に電話をしてみると当たり前だけど業務時間外なので出たのはヒンディーしか話せないおじいちゃん。

ひときわ重たく感じるバックパックを背負ってデリーの安宿街の表通りをとぼとぼ歩き始める。
さわやかな朝の空気に包まれるパハールガンジ。
そんなさわやかさとは裏腹のどよーーーーーーーーんとした感情はどうすればいいのか、頭の中様々なことがグルグルグルグル


とりあえず日本語が通じそうな宿に行こうか…今は落ち着くしかない。
ないものはないのだから。

目に入ったのは謎の日本語らしき文字で書かれた
パヤール 2階
という看板がみえた。「助かった」と思った。

階段を上がり、フロントの人に日本語で「パスポートなくしちゃって...」
と伝えたらあっさり
「ドージョー」
と言われて拍子抜け。個室をとった。

すぐ隣のドミトリーには日本人男子が3人。
彼らの協力のもと、サクサクと各方面への帰国無理ぽという連絡は済んだ。
航空会社だけは電話では不安だったので直接カウンターへ行き、乗れない事情を話して45日FIXという変更不可の航空券をなんとかしてもらおうとした。
「結果は明日、宿泊先に電話します」
で決着したが、パスポートはあいにく土曜日で大使館は休み。
ダメもとで行ってみると、朝電話に出たおじいちゃんが対応してくれたが後ろから大使館員さんが出てきて話を聞いてくれた。
第三国に立ち寄らないことを条件とした帰国証明書を発行してもらうための書類を貰い、パスポート情報を伝えた。
こんな時に限っていつも持っているパスポートコピーも持たず、ビザナンバーも控えていなかった。
「帰国証明はカンタンです。一番厄介なのは移民局でしょう。インドですから」
という大使館員さん。そう。移民局。
初インドバックパッカーの時にコルカタの移民局に二度足を運んだことがある。
ビザが切れたのである。オーバーステイで怒られる前に移民局でビザの延長を申し出る。
この時は怒られるも何も、こちらは期限内にインドから去ろうとしたらインドの都合(内紛でインド全土が機能不全になった)で足止めを喰らった身。有無を言わさず延長されるものと思いながらもドキドキしていた。
ので、移民局の事は知っていた。

パスポートコピーとビザナンバーは1週間前に泊まったビジネスホテルでパスポートコピーをとったからあるはず。
と、パハールガンジから近いビジホ街へ行って、理由を話したらパスポートコピーファイルからビリビリと破ってコピーのコピーではなく原本とビザナンバーを教えてくれた。(要らないの?)

そして、最寄りの交番へ行って紛失届を出した。
相当適当だった。私用電話をしながら片手間に書いてくれた紛失届。
ダラムサラで紛失したというと厄介なのでここらで無くしたというようにという宿のオーナーのアドバイスをもとに書いてもらった。
終わったらとっとと失せろとばかりにシッシッと警察署を追い出された。
こんな時はインドのいい加減さに救われる。

帰国証明のためには写真が必要という事で、証明写真を撮りに行く。
途中で日本語でナンパされてうっとうしかったので
「パスポートなくしちゃってさ、忙しいの。今から大使館に出す写真撮りに行くんだよ。写真屋知ってる?」
と言ったら写真屋まで案内してくれて「見つかると良いね」と言って去っていった。案外いい奴だった。
「デリーの人間はそんなこと(パスポート泥棒)しないよ」
と写真屋のお兄さんは言った。

翌日夕方
「オエネサン トモダチカラデンワ」
宿でまったりしていたら電話が入った。
一緒に航空会社や大使館に行ってくれたN君からだ。
ラッキーなことに昨晩、ダラムサラに向けて旅立つ彼に一縷の望みをかけて最後に両替で立ち寄った両替所に行って確認して欲しいと託したのだった。

「ありましたよ!!僕が預かっています」

今すぐにでもダラムサラへ行きたかったけど、ガバメントバスに17時間乗るのはもう嫌だからツーリストバス一択。だけど、もうバスは出てしまった後。
明日の夕方を待つことに。
とりあえず無事パスポート確保
という事で、宿のみんなと握手した。

幸運だったのは、土日でパスポート紛失の手続きが進まなかったこと。
ここで手続きが進んでいたらまた厄介なことになっていたと思う。
そして2度目のバックパッカーインドでも最初に設定した帰国日に帰国できなかったのがおかしかった。
初回はインドが内戦状態になって国際線どころか国内線も列車も食堂や商店さえもクローズしてしまい、2週間滞在が伸びた。
二度目は長距離バスに乗る前に立ち寄った両替所にパスポートを忘れていったらしい。
500km離れたヒマラヤのふもとにあるダラムサラへとんぼ返り。
1週間帰国が伸びた。
14年ぶりのインド行き、45日FIXの航空券を買うときに
「また(帰国が)延びちゃったりしてw」
なんて思いながら買ったから、神様が望みをかなえてくれた。
航空券の変更に関しては一向に航空会社から連絡が来なかったので、日本で旅行代理店を経営している知人に連絡をしてそちら経由で確認と支払をしてもらった。5,000円だった。

その後、4年間インドへ行く事はなかったけど死にたくなるような出来事があり、心も身体も虚ろなままにインド行きを決めパンチャカルマを受け元気に帰国をすることになるの。そしてコロナで物理的に行き来が出来なくなるまでインドと相思相愛の蜜月を過ごした10年間。

昨年4年ぶりのインドへ行って、新しいステージへの移行を感じました。
インドはいつだってもう少し居たいをかなえてくれる不思議な土地。

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#忘れられない旅


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