不登校だった娘がロシアでバレリーナになった話#9(不登校は助走期間)
それではここで一旦、時系列のおさらいをしておきましょう。
エージェントBに連絡をしたのが5月。
卒業して帰国したのが6月。
オーディションの準備をしたのが7月。
その後ひたすら連絡を待っていたのが8月。
そして!
待ちに待った連絡がきたのが8月でした!
ここで驚いたことに、本来待っていた連絡とは違う、予想していなかった連絡が来たんです。
予想していたのは、Bがあらかじめ想定(ほぼ100%呼んでもらえるけど正規入団かインターンかという)していた劇場からの連絡のことだったんですが、違う劇場からの連絡が来たので驚きました。
予想外の知らせ
その劇場のディレクターはBとバレエ学校時代の旧友でした。
就活のサポートを依頼した5月の時点でも、もちろんこの劇場の求人は問い合わせていたのですが、その時は空きがなかったんですよね…
そして8月に入ってなんと!
「空きが出たんだけどまだ日本人の子は仕事探してるの?」
と、ディレクターから連絡が入ったというんです。
これは運を引き寄せた~!と思った瞬間でした(笑)
1.時はコロナ渦
驚きと喜びに浸る余裕もなく、早速準備です!
長女がロシアまで現地オーディションに行くためには、コロナによる制約で沢山のプロセスがあり、しかも相当お金がかかることがわかっていました💦
PCR検査(72時間以内)代
往復の航空機費
短期ビザ代(申請、取得)
健康診断代
現地滞在費
これらをザっと計算したところ30万円はかかることに~😢
いちばん面倒だったのは、短期ビザの取得でした。
時間がなかったせいもあり、これまたロシアに特化した旅のエキスパートに頼むことにしたのですが、郵送でパスポートのやり取り、航空券や宿の手配、その上PCRの期限も考えて…となかなかうまく物事が運ばず気ばかり焦っていました。
そんな我が家の状況を見てBが劇場のディレクターに連絡を入れ、このコロナ禍ではオーディションを受けに行くだけでも手続きが大変だと伝えたそうなんです。
なんなら、ざっくばらんに
「現地に行かなくてもいい?」
と聞いてくれたようなんです(笑)
2.採用決定?!
そしたら、なんとなんと!
その意見をあっさり承諾してくれて、送ったビデオだけで本採用してもらえることになったんです!!!!!
そんなこと、普通はあり得ないと思うんですが💦
信じられないし嬉しいし、あの時は本当にBが神様に見えました✨
「Bの紹介する子なら大丈夫だろう」
という信頼関係があったからこそ、だと後から聞きました。
Bとしても、エージェントという仕事での信頼は落としたくないと思います。
そんな中で、長女を”おすすめ”できるダンサーとしてプッシュしてくれたことに本当に感謝しかありませんでした。
劇場の事務員さん
でも、採用が決まってからもやることがあれこれあって、実際ロシアに行くまではすべての事務手続きが滞りなく終わるかどうか、にかかってくるんです。
その重要な事務手続きを人に任せることになるので、それはそれでまた気を揉む日々になりました。
1.仕事よりバケーション
いえいえ、バケーションはどうぞ取って下さい。
でもね、長女の書類をデスクの上に置いたまま
「忘れてた」
とか言うのはやめてもらっていいですか(笑)
8月という時期、劇場の事務員さんもお休みの日があるのは仕方ないことです。
でも、その事務員さんのおかげで長女の書類が一ヶ月動かなかったという衝撃の事実😲
2.事務員さんの仕事がすべて
詳しい手続きはわかりませんが、外国人を雇う場合は移民局とか法務局とかロシアのお役所に提出する書類が結構あるらしいんです。
そんな書類のやり取りがすべて終われば、ようやく就労ビザの申請手続きが始まり、そこから約一ヶ月でメールでビザの招待状が送られてくるという段取りでした。
でも、トントン拍子にはいかなかったんです…😢
その当時の経緯と、私の感情がそのままメモに残っていたので貼ります(笑)
”書類の不備”というのは、パスポートのロシア語訳が必要と言うことでした。
というか、8月にすぐ確認してくれたらよかったやん~という話💦
そして、Bもどこまで必要書類に対して知識があったかは分からないですが、大使館に一緒に行ってくれたのはさすがの面倒見の良さでした!
当時の私の焦りと怒り、伝わりましたでしょうか(笑)
さらに言うと、ロシアビザセンターの休日がロシアのカレンダー通りだということもポイントです!
結局、渡航できたのは11月6日になりました。
なぜこんなに渡航が遅れたのかの原因を振り返りますと、
そもそも書類の確認が遅れた→劇場の事務員さん
書類の不備(翻訳が必要)→B
再提出後なぜか振り出しに戻る→移民局か法務局
ビザセンターの休日→仕方ない…
少なくとも、最初の書類提出からスムーズに流れていればここまで遅れることはなかっただろうと思います。
いよいよロシアへ
8月に採用の内定を頂いてから三ケ月という月日が経ちました。
すったもんだありましたが、終わってしまえばあっという間だったのかもしれません。
1.留学とは違う寂しさ
出発の日の羽田空港は、コロナ禍で閑散としていました。
そんな雰囲気も手伝ってか、最後のハグは笑顔というわけにはいきませんでした。
寂しくて寂しくて、泣きながらゲートで手を振りました。
でも、ようやくたどり着いた長女の晴れの日。
私にとっても素晴らしい日になったのは間違いありません。
見送りの時のツーショットと、5歳の時のツーショットを並べてみました(笑)
2.これからが本当の始まり
人生は平等だ、って誰かが言ってます。
本当にそうであれば、これまでの長女の人生はまだまだほんの助走期間だったと思えばいいのかな。
大器晩成型とでもいうのでしょうか(笑)
こんな家庭でまっすぐにバレエだけ見つめて生きてこられただけでも💮はなまるです。
だからこそ、これからが長女の人生のスタートだと思えるんです。
不登校で人生決まらない
私が長女の話を書きたいと思った理由の一つに、不登校だった当時の中学教師に伝えたい思いがあります。
1、不登校は人生のオワリ?
「今、不登校だとこれから先も逃げるだけの人生になるぞ」
と言葉の呪縛で苦しめられました。
本当にそうだったでしょうか。
少なくとも、
「そんなことじゃバレリーナになんてなれない」
と言われた言葉はお返しします(笑)
また、今現在不登校のお子さんがいるご家庭にも
「子どもの人生を決めるのは今じゃない」
と伝えたいと思います。
お子さん、ご家庭それぞれに向き合っていることがあると思います。
でも、その先にある未来が今決まってしまうなんてことはありません。
2.未来の話をしよう
長女の不登校時代の話とバレエの話とで、統一しない散らかったマガジンになってしまいました💦
拙い文章で何をお伝えできたのかわかりませんが、とにかくここまで読んでいただき本当にありがとうございました!
今までは過去の話、これからは未来の話も書いていきたいと思います。
未来があるって羨ましい~と最近つくづく思うのは、人生折り返し地点にたつ50代という年齢になったからかもしれません。
まぁ、親にできることは子どもの未来を信じて一緒に夢を見る、っていうことで良いのではないでしょうか!