![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/143366866/rectangle_large_type_2_d47d72740d4070ecde8458a63772fe6a.jpeg?width=1200)
孤独で苦しいけど自主制作をやめたくない
何か作品を作って、望むようなリアクションが得られない時がある。見せても「へ〜そうなんだ〜」で流される時がある。あのときの気持ちは、本当に嫌なものだ。
イライラする。やらなきゃよかった、見せなきゃよかった、まで思う。(これはちょっとあとから冷静になって、いや、やったこと自体はよかった、となるけど)
このいらだちは、「イラスト」に関連する成果物についてのみ起こる。特に、自主制作に顕著である。仕事だったら、クライアントが喜んでくれれば充分でそれ以上は求めないし、「デザイン」「グラレコ」に関しては、人のリアクションがいまひとつだったとしても、多少悲しくはなるが、ここまで強い感情は起こらない。
絵や漫画が、自分自身を投影しているどころではなく、自分そのものだからだと思う。わたしはたぶん、自分の分身を世に放って、世界とコミュニケーションをとろうとしている。だから、リアクションがないと、「存在を無視された」ように感じる。孤独だ。みじめだ。
感じ方も、好みも、人それぞれでよい。誰かの感じ方を強制する権利は私にはない。それに私自身が、なにより、感じ方の自由を奪われることが大嫌いだ。
だから余計にイライラする。自分の苛立ちが、他者の権利侵害に値しうることに気づいているからだ。このときの苦しみは、まさに「煩悶」。
自主制作に付随するこの苦しみに、どう向き合うべきか答えはでない。ただひたすらに苦しい。やめてしまえばいいのかもしれない。もっと営業とマーケティングに力を入れて、受注仕事を増やして、その効率を良くしていけば、売上を伸ばすこと自体はできる。
でもやめない、やめられない。すぐにお金にならないし、時間もかかるし、疲れるけど、やめたくない。自分はいいと思っているからだ。ほかでもない自分が「いいじゃん、いいの作れたね!」って言ってくれるからだ。ほんでたまに、誰かしらが、すごく気に入ってくれて、思わぬご縁がつながることがあったりするのだ。
人気者にはなれない、バズりもしない。それでもわざわざ続けるのはなぜ。よくわからない。でも自分が自分を支援しているから。そうしてるうちは、やめる理由がない。
いつだってそうだったかも。自分が自分を諦められなかった。器用な生き方ではないことはわかっているけれど、「がんばれ!きっとできる!」と言ってくれる自分がいる限りは、痛い痛いと思いながら、こうするしかない。
いいなと思ったら応援しよう!
![グラレコとまんがも描けるイラストレーター やまぎしあゆみ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/170334427/profile_a47cf7763f42140167a25c3894903da3.png?width=600&crop=1:1,smart)