46.真面目な人はバカをみてしまうの?
朝の不安がひどいです。もーこれにはほとほと困っています。
夜の不安は少しずつなくなってきています。
それよりも朝起きてリビングに座った途端、突然やってくる不安の方が大きい。なのでいつも朝一番に不安薬を飲むことが増えました。たまにそのままサラッと流せるんですけどね。
いちいち落ち込んでは、体を丸めてひたすら耐えるとか、いいかげん疲れたなもう。
そういえばなんで体を丸めると落ち着くんでしょうね。お腹の中にいたポーズと同じだから?
わたしはときどき「真面目にやってる人がバカみたいじゃん」と思うことがあります。仕事上のことが多いですが、普段の生活でもたまに思います。
だから「真面目にやっているのにバカをみてしまった人」のことを敏感に感じ取れるように、アンテナを張り巡らせます。もちろん全部受信できるわけではないですよ。
立っている時の姿勢、表情、視線、空気感、そして行動。もしそのアンテナがビビビと受信したら、わたしにできることはなんだろうと考えます。
「あの人はこんなに真面目にやっているんだから、わたしもちゃんとやろう」
「毎日毎日この仕事を自らやってくれてるの知ってるよ、ありがとう」
本人に言うこともそのひとつだし、手伝えることがあれば手伝います。
時には周りの人に「それを気づいて」と言うこともあります。
自分が今まで真面目にやってバカを見たことが何度もあったから。
悔しいとか悲しいとかはもちろん思っていたけど「それでもわたしは間違ってない。誰がなんと言おうと」と自分がやってきたことに、多少なりとも自信があったので、バカを見た事実をドカドカと踏んづけながら進むことができていました。
躁鬱と言われてから、それが全くできなくなったんですよね。
真面目にやったのにバカみたいだな、と思うことに対して「誰がなんと言おうと」と自分を立たせることができません。
自分そのものを失くし、彷徨っているような気持ちになり、仕方がないことなんだろうなと思いながらも、裏切られたような気持ちのまま、グッと我慢することが多くなりました。
それで潰れます。勝手に潰れます。そのくり返し。ここに何度も書いてきたことの、くり返し。
そして気分の波が大きいので、前向きに思ったりものすごくネガティブに思ったり、きっと読んでくれているみなさんには、文章に一貫性がないと思われていることでしょう。
そういうことなんです、躁鬱というのはきっと。
自分ってなんなんですか?とむしろ神さまに問いたい気分です。
試練として与えられているのか、早く自分に気付けと言われているのか、単に知ったこっちゃないということなのか。
まぁ察するに、単に知ったこっちゃないってところでしょうね。神様も忙しいんだから。
わたしだって実際、仕事に手を抜くこともあったし(バレないようにね。いや、バレてたな多分)、嫌なものは嫌と言ってました。でも誠実に向き合ってきたつもり。
真面目な人は本当にバカを見ているんですか?
いつか報われると思いながら、頑張っている人たちはバカなんですか?
不器用だね、って笑われることなんですか?
わたしの周りにいる、真面目に頑張っているかけがえのない人たちのことを、わたしは絶対に見逃しません。この先も必ず。
そして「人はみな平等」ではない。良くも悪くも。
ちなみに今日もまたドトールです。いやー落ち着くなぁここ。
ただね・・・寒い。いつも冷房が効きすぎている。それが唯一の難点でしたが、ついに今日やってやりました。奥の方の一番はじっこの席は寒くない!
やったぜ!問題ひとつ解決!!