26.寝るのが怖いので雨を降らせてください
朝起きた瞬間の不安はまだ続いています。それは「今日一日平穏に過ごせるかな」という不安。
そして夜の不安も増えました。「明日は大丈夫だろうか」という不安。
特に、休みの前の日の夜が怖いです。なにも予定がない場合は、なおさら不安が増します。たまに寝るのが怖くなる時もあります。寝ると明日がやってきてしまうので。寝なくても明日はやってくるんですけどね。
規則正しい生活をした方が安定すると知っているのに、布団に入るのが怖くて、夜更かししそうになります。挙げ句の果て、寝るということは同じなのに、リビングで寝てしまったりします。布団に入ってちゃんと寝て明日を迎える、という怖さがほんの少し和らぐような気がするんですよね。気のせいです。知ってます。
そしてまさに今、何も予定がない休みの前日なんです。鬱状態の時、家で休むということがとても辛かったのが、少しだけ頭をよぎるんですよね。家で一人で自由に過ごすことに自信がない。そんなものに自信もへったくれもないんですけどね。知ってます。
洗濯、部屋の掃除、押入れの片付け、服の整理、水回りの掃除、たまっている本を読む、やれることはたくさんあるのに、自分だけのためにはなかなか動けない。自分のため=相手がいないノーリアクションだから。わたしのノーリアクション打開策が、ここでは使えないわけです。
娯楽がなんでこんなに苦手なんだろうと、我ながら思います。本来、一人遊びは得意な方だったのに。
わたしは不安を感じると、体育座りで体を前後に動かすようになります。昔、人から指摘されて初めて気づいたことだったんですが、気を紛らわそうとしているのかなんなのか、無意識のクセですね。猫が動揺すると、体をペロペロ舐めたりしますが、それと似たようなことかもしれません。
ちなみにですが、猫ってかわいいですよね。わたしは犬も好きですが猫も好きです。
この間、帰宅途中に首輪付きの猫ちゃんが目の前にぴょんと出てきて、そのまま体を触らせてくれました。しかもゴローンって仰向けになったので、存分に撫でさせて頂きました。猫様、ありがとうございます。
猫ちゃんも嬉しそうにしていて、夢のようなひとときでした。でもお腹を触ってしまった瞬間、それはやめて、と言わんばかりの無表情で、手を押さえられました。急に現実に戻された感。その時爪を立てなかったのが、猫ちゃんの優しさですね。
と、楽しかったことを思い出しながら、さっきから体がずっと前後に動いてます。
やっぱり怖い、明日が来るのが。
もし仮に、誰かと一緒に住んでいたら、こういう不安は消えるんでしょうか。誰かと話すことで、こういう不安って解消されるのかな。でも、誰かと毎日毎日顔を合わせるのも、それはそれでまた別の不安になりそう。なら自分はどうしたいのか。それが分からないから不安なんじゃないか!もう!
気がつくと寝てました。今は翌日の朝6時半です。
けっこうな雨が降っていたので、目が覚めてすぐラッキーって思いました。雨の日が休みだと、濡れながら出かけることがないので、ラッキーって思いませんか?わたしは昔からそうで、休みなのに雨なんて・・・と思ったことがありません。外に出なくても済む言い訳ができるので、罪悪感なく、家で伸び伸びとダラダラできるということです。
今は家にいることすらも不安ですが、今朝はいつもの不安が来る前に「雨でラッキー」が来てくれて、助かりました。そして昨日の夜の不安が嘘のように落ち着いています。
いっつもこんな感じ。少し先のことに対してビビってしまうんです。明日が怖いと言っても、絶対に明日は来るし、いざ次の日になるとケロッとしてるんですよね。知ってます。
今日は朝の不安がなかったので、平穏な時間です。朝ごはんも食べたし。目玉焼きダブル。わたしはそれにマヨネーズかけて食べます。目玉焼きに卵黄をかけて食べてるようなものですが、似たもの同士が好きなんです。
万城目学さんが書いた「悟浄出立」という本があるのですが、わたしはこの話が大好きで、よく読み返します。その中に、「好きな道を行けよ」「少し遠回りしたってまた戻ればいいんだ」「もっとも、できることなら最短の道をお願いしたいけどね」という言葉があります。その言葉が大好きで、何回も読んでしまうんですよね。
好きな道を行く。確かに、悩んでも悲しんでも楽しんでも喜んでも、それは自分自身の選択であり、それが自分の道になる。平坦な道とデコボコ道どっちを自分は歩きたいのか。それは自分が決められる、自分にしか決められないことなんですよね。
わたしは、自分で自分の世界を難しくしているのかもしれません。
とりあえず今日は、外が雨なので「仕方なく」家に居ることにします。しょうがないよねー雨なんだもん。