スキマにスイッチがあれば
何か調べ物をしていて、知人にスマホを見せたところ、
「あー最近老眼でよく見えないんだよね、貸して」
ってスマホを取られ、遠めに手にして画面を眺めていました。
おいおいおい、老眼っていう歳じゃないじゃん・・・。わたしよりも年下なのに。
でももしかして、わたしも視力が良い方だったら、今頃老眼を感じてるのかな。
・・・・いやいやいや、それにしたって早すぎる!
「ねぇそれマジで言ってんの?」
知人に再確認しましたが、どうやら嘘はついていないようです。
自分の顔って毎日鏡で見るし、今日も顔色が悪いなとか、今日も死んだ魚の目をしているなとか、今日も唇の色が塩コショウみたいだなとか、今日も髪の毛がハイエナだなとか、そういうことは自分で比べられても、だんだんと歳を重ねていくことって案外自分じゃ気づけないんですよね。
自分が思っているよりも、他人から見たわたしは歳取ってるんだろうなぁ。
幼い頃に見ていた母と自分を重ねてみると、ますますそう思います。
前に「わたしの世界はなんで?でできている」というようなことを書きましたが、それと同じように、わたしにとって生きていくのは一種の「実験」に近いところがあるのです。
身体と心が離れているというか、自分の身体は肉の塊にしか思えないんですよね。
若い時にたくさん開けてたボディピアスもそうだし、わたしは見えないところにタトゥーを入れているのですが、それも実験のうちの一つ。身体に穴を開けるってどういうこと?身体に絵を入れるってどういうこと?っていう、肉の塊への実験。なので普通はデザインや掘る場所で1年とか悩んだりするものなのでしょうが、わたしは1日で決めてすぐ入れました。デザインなんてなんでもいいので。あーこんな感じなのか、へ〜、です。
もしこれを「自傷行為を変換させただけ」と言われたら、あながち間違いじゃないかも。
だからといって、カルチャーの1つとされている人体改造とかボディサスペンション(知らない人は調べない方がいいと思うよ!)は、実験対象にならない。
この一致していない感じ、頭に膜が一枚張ってあり、何をしていてもピンとこない。
もし魂と言われるものが実際にあるとしたら、絶対に入る人の体を間違えていると思う。ということは、もう1人同じように思っているわたしがいるということで、どこかで出会ったら交換せねば!これこれ、これだよ〜って、納得できるんじゃないかな。
ペットボトルの中に身分証を入れている感じ。
ペットボトルは透明だから透けて見えるんだけど、例えばどこかで職質を受けたときに、身分証を出してくださいと言われても、せいぜいキャップを外すことしかできず、中身は取れないんですよね。
その時に、「すみません、取れないんです・・・」じゃなく、「取れなくてこっちも困ってるんですよ!!もう!」って逆ギレする気がする。
・・・なんか若干、暗い方向へ話が流れてしまいましたが、こういうことを書きたかったのではなく、白髪染めチャレンジしようかな〜っていう話だったんですけど。
でもね、自分の身体をただの肉の塊と思っているのに、白髪が気になるってところも矛盾してるんですよ。
こういうスキマにボトリと落ちてしまった違和感が、気持ち悪いんですよね、ずーっと。
ちなみに今日、起きたら首を寝違えていたのですが、それは痛い。痛覚はちゃんと持っています。