パリの音楽一家の3姉妹
中学一年の冬休みに、家族でパリに行ったときのことをよく覚えている。
パリのレアール(かつて大きなパリの中央市場があった場所で、今では東京でいう渋谷のような繁華街)のすぐ近くにある、父の友人家族の家に食事に招待されて行った。
昔ながらのパリらしい古い建物なのだけど、アパルトマンというにはずいぶんと天井が高くて立派な、お屋敷のような家だった。
そして、その家に住んでいるのがまた、とても上品で育ちのよさを感じる音楽一家だった。オーストリア人の旦那さんと、フランス人の奥さん、わたしと姉とちょうど10歳ずつ歳の離れた姉妹の子どもがいた。(当時はまだ2人姉妹で、その翌年3人目が生まれた)
ぱっちりお目めに、ふわふわのくせっ毛、絵に描いたフランス人形のような佇まいで、とても素直な感じのいい子たちだった。
初めて家にアジア人のお姉さんたち(わたしと姉)が遊びに来たので、話したくてたまらないという感じで、流暢な英語とフランス語で次々に話しかけてくる(ちなみに、ドイツ語も話せるトリリンガルだ)。
だけど、帰国してすっかりフランス語のフの字も忘れてしまっていた当時のわたしは、6歳の女の子の「Do you speak English?」がかろうじて聞き取れただけ。愛想笑いで返すのが精一杯だった。
すごく…すごく……ショックだった。
たった一年間の滞在経験だけで、学校でも「フランスに住んでいた女の子」といわれて、ちょっとした優越感に浸っていたわたしは、フランス語をきれいさっぱり忘れてしまっている自分の現実をガツンと思い知らされた気がした。
いつもはおっとりして、あまり負けず嫌いな性格ではないのに、自分よりうんと小さな女の子たちが何を言っているのかがさっぱり分からなくて、このときばかりは、すごく悔しくて泣けてきた。
突然、大きなお姉さん(わたし)が泣き出したもんだから、かわいい姉妹はキョトンと困ったような顔をしていた。みんなびっくりして笑っていたけど、なんだかとても情けない気持ちだったのを覚えている。その後も長く続く彼女たちとの交流には、そんなはじまりがあった。
もう一度パリに住みたい。
フランス語をがんばって話せるようになって、大学生になったら留学するんだ!
なんとも不純な動機だけど、そんなこんなで留学を夢見るようになった13歳の冬。両親に頼み込んで、フランス語のレッスンに通い始めた。それが、大好きな先生との出会いだった。