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「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」アーサーorジョーカー?と同時にリリーorガガ?

冒頭にわかりやすいアニメで描かれるジョーカーとアーサー。
ジョーカーはアーサーの影(分裂人格)で、アーサーはか弱き被虐者、もう一人の人格のジョーカーが恐ろしい殺人を犯したんだよね…と。

あれ、そうだったけ?前作、そんなんだったけ?
私の記憶では「ジョーカー爆誕」というよりは
じりじりと追い詰められたアーサーが
夢と現実の境がリアス式な海岸を必死に逃げていたら
ついに崖から落ちて意図せず誕生?という印象だったので。

誰もアーサーを知ろうとしない

(以下、ネタバレあります)
女性弁護士はアーサーとジョーカーは別人格だと強く主張する。
アーサーを無罪にして適切な治療を受けさせ
後半人生を穏やかに過ごさせるための唯一の弁護方針は
「ジョーカー別人格説」しかないのだろう。
おそらく彼女は人権派の弁護士で本気でアーサーを「救おう」としている。

本気でアーサーを救うためには、
皮肉なことにアーサーを深く理解してはいけない。
「なにはともあれアーサーは幼い頃から虐待をうけ
 ジョーカーという別人格がでてきた」という
ストーリーにおとしこまなくてはならない。

「おれは惨めでかよわき弱者なのか?
 でも塀の外では俺を崇拝している人々がいるらしいのに」

前作に引き続き現実を受け入れられないアーサー。
そこに現れるのがリリー。ガガ様。

(私はなぜかガガ様が出てくる映画を全部見ている。
 特にガガファンではないのだが、私が見たい映画にガガが出てきては
 予想外のセックスシーンで体を張ってくる。
 ガガ様の頑張りどころはそこではないのでは?といつも思う。
 そしていつも良い演技をするのに、いつもなにかがズレてて
 次回作こそ頑張れ!と思う。)

今回、面白かったのは
リリーはジョーカーを偶像化して、破壊的にアーサーを翻弄するんだけど
それはスター☆ガガ様がおそらく苦しめられてきた事象でもあるはず。
「エンターテイメント!それがエンターテイメント!」
と繰り返して、大切なことを告げてる場面で歌いだすし
ものすごい才能バリバリでピアノ弾いちゃうシーンとかあれはガガ様だし
「も、もう、歌はいいわ、ちょ、歌わないで、」
と本気で止められてるのに歌いだすのとかはちょっと笑っちゃいました。

怖いよねぇ…「山をつくるの、山を」とか意味不明だし。
リリーってのはスター☆ガガ様ありきのあて書きなんだろうな。
偶像化する/されることの恐怖と狂気が
リリーとガガで二重写しという、すごく不思議なものを見た気がする。

フォリアドゥ

今作にはスマホとかネットの描写は一切なかったんだけど
なにかに熱狂して付和雷同共鳴しちゃう人々の恐ろしさをすごく感じた。
同時にアホっぽい。
最近多いけど、フォリアドゥしてるやつ、アホちゃうか?何してんの?

監督のトッド・フィリップスは「ハング オーバー」とか「ボラット」とか
コメディ映画も手がけているんだけど
私はジョーカー全編とおして
「近くでみると悲劇だが、遠くでみると喜劇」感がある気がする。
だって、突然爆弾ボーンとか、コメディでしょ?
コメディとして撮れるストーリーを
思いっきりカメラをアーサーに寄せて描くから
「痛み」を間近に感じられて、ずっと痛い。

あと

あと、とにかくホアキンの演技というか表情がどこ見てもすごい。
おでこのシワとかが大根もおろせるんじゃないかってくらい
鋭敏な段々になっちゃったりもすごい。
全身諦観モードのアーサーもイイけど
最初の法廷のシーンとかちょっとオサレして調子にのったアーサーとか
カリスマ性を出しててすごいって感じ。
笑いの発作のシーンも前後の表情も複雑だけどいろいろ乗せてるし
こういうのって誰でもできない、職人俳優だって思いました。

あと、エリート若手検察がアップになる度、かすかに口元をニヤつかせてて
もしくはそういう微妙に人をムカつかせる顔立ちなのかもしれないけど
検察側が勝った瞬間に爆撃を受けて
おそらく弱者に転落した瞬間もなかなかグッときた。
あぁ人は誰でも弱者側になるんだよっていう。

あと法廷でのパドルスさんの言葉はすごく心に響いたな。
「アーサー、君だけが僕を笑わなかったんだよ。」って。
入廷するときは、みんながクスクス笑いをしていたけど
退廷するときは誰も笑ってない。
彼は自分の無力を認める強さを持ち、今も戦い続ける勇者だったよ。

というわけで、私は大満足でした。

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