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佐渡島で感じた豊かさ
私の父は新潟県の佐渡ヶ島出身。港から車で2時間ほど離れた、本当に小さな村に祖父母が住んでいる。小さい頃からお盆の時期には家族みんなで佐渡に行っていた。
子どもの頃は、ただ「遊びに行く」という感覚が強かったけど、ある程度大きくなってからは、田植えや椎茸の苗木運び、畑のものを収穫したり、山菜を取ったりした。
(余談だが、祖母は川の対岸にある茂みを指さして「あゆみ、あそこに山菜が生えてるんだ」と教えてくれる。スナイパーみたい。ちなみに私にはその山菜がどれだかわからない)
佐渡で食べたもの
近所に住んでいる親戚は漁に出ていて、その日にとれたイカや、見たことのない魚のおすそ分けが軒先に置かれていることもしばしば。
畑で取れた野菜は、例えばきゅうりやなすは育ち過ぎてお化けのように大きくなっていたり、トマトは真っ赤に熟れていて、ところどころはじけている。ほうれん草は売っているものに比べてかなり葉が厚く、芯もしっかりとしていた。
昼間に取ってきたものは、すぐに調理して夜の食卓に並んだ。
田植えの時期に取れるわらび、こごみなどの山菜や、ほうれん草は胡麻和えに。天ぷらを作ったこともある。
夏のトマトは切ってマヨネーズをかけるだけ。なすは、炭小屋から七輪を出してじっくりと焼く。きゅうりは千切りにしてサラダにしたり、刻んで漬物にすることもある。
魚やイカはさばいて刺身にしたり、小さいものは甘辛く煮つけてしまう。
どれもごく簡単な調理、味つけしかしていないし、使うのはどこにでも売っている普通の調味料。(味噌はたぶん自家製、醤油は佐渡で作られたもの)
「その辺で採ってきたもの」ばかりなんだけれど、本当においしいなぁ、と思う。
野菜は味が濃くて、食感も良く、甘みを感じる。魚介類は獲れてすぐなのでコリっと身がしまっている。
ご飯は麦を混ぜて圧力鍋で炊いている。ちょっと水分が多めで、甘味があって、おかずがなくても、そのままどんどん食べてしまう。
そばに漬物や塩漬けの魚があると、ご飯の味が更に引き立って、ついおかわりをしたくなる。書いているうちによだれが出てきそう。
色々な「豊か」
その場で採れたものを、その日のうちに食べられること、その土地の水を使って炊いたお米を食べられることって、ものすごく豊かで貴重なことなんじゃないかな?と、大人になった今、心から感じている。
食の好みは人にとって違う。私はたまたま、素食というか、素材の味がわかるものが好きだから、佐渡で食べるものがすごくおいしく感じるし、豊かな気持ちになる。
「買う」のではなく、食べるものを自分達で調達すること。
自分の足でそれらが植わっている場所まで行って、採って、調理して、食べることを体験できるのは本当に貴重だと思う。「自分が採った野菜」を食べるのは、嬉しいような、幸せな、満たされた気持ちになる。
祖父母のいる村にはスーパーやコンビニがないので、決して便利な場所ではない。むしろ不便なことのほうが多い。だけど、「必要なものがすぐ手に入る豊かさ」とは違い、「身の回りで野菜や米を作っている」ということだって、すごく豊かではないか?と思っている。
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佐渡で感じた豊かさを色んな人にも知ってもらいたくて、この記事を書きました。祖父母のところにいくのはもうしばらく先になりそうだけれど、この記事を書くことで、佐渡や農作物に対する自分の想いに改めて気づきました。また違う視点から、佐渡で感じたことを書きたいな、と考えています。