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被害者意識が極小なのは最高の安心

私はかつてメンタルぐだぐだ人間でした。それをなんとかしたくて、心理関係の勉強をして、10年ほど心理カウンセラーもやってました。

いくつかの団体で勉強したのですが、最後はフラクタル心理学にたどり着き、そしてその後、心理のことをあれこれ考えることから卒業しました。

フラクタル心理学はすごく糧になっています。その前に学んだことも、フラクタル心理学に出会うために必要だった気がします。

ただ心理学にはちょっとした罠というか、そういうものがあるなあと思っています。

その一つが、個人カウンセリング。個人カウンセリングを望むのは、依存性が強い人です。強度の依存を抜け出すためには個人カウンセリングが必要なところはあるかもしれないのですが、個人カウンセリングそのものに、依存を強化するような面があると私は思います。

まあそんな感じで、心理学を手放しで「素晴らしいもの」とは、今の私は言えないのですが、フラクタル心理学で徹底的に教わった「被害者意識は一文にもならんし、それどころか借金作るで」的な考え方は、自分の心の支柱になっています。

被害者意識がない、というか、極小であると、とても生きやすくなります。

(生身である以上、被害者意識ゼロは無理なんです。えーと、被害者意識ゼロというのは、即身仏になる、みたいな感じと言えるかなあ…)

とにかく、少々のことでは腹が立たない。心配にもならない。なんか全部うまくいく(と感じる)。失敗などネガティブなことは、学びという感覚が強くて、さほど落ち込むこともない。心に余裕があるので、ひどいミスはしないし、能力はちゃんと発揮できる。

あ、能力は、「努力して得た能力を発揮できる」ということです。何も積み重ねてなかったら、被害者意識がどうであれ、発揮できるものがないですからね。

被害者意識がほぼないのが万能、ではない。

まあ今でも、毎日のように被害者意識に陥りそうな自分は感じます。その度に、「嫌な気分になるならそれは被害者意識やろ」って自分に言い聞かせて、気持ち切り替えてます。あ、そうそう、「被害者意識感じてんの、無駄やで!エネルギーも時間も無駄になるで!」ってよくつぶやいてます。そして、被害者意識ではなく、別のこと考えます。大好きな森のこと、木のこと、チェーンソーの取り扱いのこと、メンテナンスのこと、鳥のこと、竹のこと、考えたいことはいっぱいあって、被害者意識にほんの少しでも心のエネルギー持ってかれるの、すごく嫌です。

今日はそんなところで、おしまい。



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