ayumimakita

看護師・ケアマネジャー・上智大学グリーフケア研究所認定傾聴士、だけどその肩書きから自由になりたい人。

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マガジン

  • Death and Life Dialogue

    死といのちの対話の場をつくっています。

最近の記事

えーと、この数年の間に、開業して廃業しました! 不甲斐ないですがチャレンジに後悔はありません。 話せば長くなりますが…いつか何か話したくなるかな? とりあえず、文章を書いて出したいので、投稿再開します。

    • 訪問看護の開設地が自由が丘に変更になりました!

      先日、大田区雪谷大塚での訪問看護ステーションを立ち上げる、とお知らせしましたが、開設地が目黒区自由が丘に変更になりました。 世田谷区・大田区にも隣接する地域で、買い物などで賑わうエリアと落ち着いた住宅街の広がる、大好きな場所です。 このエリアは自転車でどこを走っていても公園やお庭に緑がモコモコと茂っていて、北海道の自然あふれるど田舎で育った私にとっては、木や緑に力をもらえるような心地よい場所です。 先日事務所となる物件の引き渡しがすみ、現地に行ってきましたが、我ながらい

      • 『悲しみの共同体』

        沖縄の共同体意識昨日、TVのバラエティ番組で、沖縄の人々が語り合う場面が出てきた。 すでに統廃合によりなくなってしまった「コザ」という地名が今でも住民によって親しまれ、使われているという内容で、コザという地名への愛着が語られる内容だった(うろ覚え)。 沖縄の人たちの連帯感、共同体意識の強さを感じながら見ていたら、ふと「悲しみの共同体」という言葉が浮かんだ。 沖縄の人々が、戦争をはじめとして、味わってきたであろう様々な悲しみが想起された。コザ騒動という事件もあった。 悲し

        • 『亡き人の思い出』を語り合っていたら、いつのまにか「いまをどう生きるか」を考えていた。

          初めての試み、オンラインでの死別体験者の集い 『Remembering Lost Souls ー亡き人の思い出と過ごす時間』 を本日開催しました。 https://omoid1.peatix.com/ 私自身、死別体験者のサポートグループの運営は初めて、また一人で主催するイベントも初めてということで緊張しましたが、 参加してくださった皆さんの穏やかで正直な存在感の中で、安心して「弱い自分」「傷つきやすい自分」と共に過ごすことができました。 死別という体験は、深く大きな感情

        • えーと、この数年の間に、開業して廃業しました! 不甲斐ないですがチャレンジに後悔はありません。 話せば長くなりますが…いつか何か話したくなるかな? とりあえず、文章を書いて出したいので、投稿再開します。

        • 訪問看護の開設地が自由が丘に変更になりました!

        • 『悲しみの共同体』

        • 『亡き人の思い出』を語り合っていたら、いつのまにか「いまをどう生きるか」を考えていた。

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        • Death and Life Dialogue
          8本

        記事

          オンラインの集い『亡き人の思い出と過ごす時間』開催します

          『Remembering Lost Souls ー亡き人の思い出と過ごす時間』 日時:2020年10月18日(日)10:30 - 12:00 場所:オンライン(Zoom) 参加者:定員5名 参加費:無料 大切な人を亡くした経験のある方で集まり、亡き人にまつわる思い出を話すことができる会を開催します。 特にケアしてもらう必要性を感じていなくても、 お別れした大事な方を思い出し、絆を温め直す場としてご参加ください。 亡き人と共に楽しんだこと、幸せな思い出、大事な絆、死別後

          オンラインの集い『亡き人の思い出と過ごす時間』開催します

          お墓参りは、亡き人と対話する時間。

          一年ぶりのお墓参りに、地元北海道の興部(おこっぺ)町に行ってきた。 今年2月の一周忌はコロナウィルス感染が広がり始めた頃で参加を取りやめたから、興部に行くのは実家を手放した昨年9月以来だ。 実家を売却する時も体調を崩してしまったし、2月の一周忌の前にも実は具合の悪さを感じていた。 元気で普通に戻った顔を見せなければいけない、という無言のプレッシャーの中に行く自信がなかった。 コロナ流行は参加取りやめの大義名分と言っていいかもしれない。 行くなら自分のタイミングで、人の目を

          お墓参りは、亡き人と対話する時間。

          東洋経済オンラインで、デスカフェを取り上げていただきました。

          何かの悲しいきっかけで死について考えざるを得なくなった人々が、安全に人とつながれる場としてのデスカフェは、社会にとって必要なインフラの一つだと考えています。

          東洋経済オンラインで、デスカフェを取り上げていただきました。

          「死で別れることになっても、きっと大丈夫」

          先日、オンラインで個別グリーフサポートを行います、と告知したら、それを見てくれた友人からちょっと意外な感謝のメッセージが届いた。 そのメッセージに、こんなふうに受けとめられるとは目からウロコ、でもなるほどなあ、と深く考えさせられたので、友人の了解を得た上で紹介したい。 あゆみちゃんのオンラインの個別グリーフケア、すごくありがたい。 わたし、身近な死ってほとんど経験無くきてしまったから、周りの人達が大切な人の死を乗り越えていくのを見て、自分にもそれができるか不安で。 自分の

          「死で別れることになっても、きっと大丈夫」

          今日の楽しかった訪問看護

          訪問看護という仕事をしています。 2月から新しい職場に入り、のびのびと仕事をさせてくれる環境で、改めて看護させていただく喜びを感じています。 私は、LIFEをゆたかにする仕事をしたいと思ってやっています。 LIFE =生命、生活、人生 生命力を輝かせると、生活も、人生までもが輝きます。 どのレベルでも、いのちがきらきらと輝きだす瞬間に立ち会うことが私の幸せです。 1件目:数か月前から寝たきりになって外に出られなくなってしまった一人暮らしのおばあさん。外で咲いている紫陽

          今日の楽しかった訪問看護

          6月のデスカフェ

          今月も、オンラインでデスカフェをします。 死について、はっきりとした考えや話したいことがなくても、他の方の話を聴くことで自分の思いや考えが生じてくる。 普段は触れることのない自分の奥深くの感情に出会う。 そんな場になってきています。 日常とはすこし違った時間を、ともに過ごせましたら嬉しいです。 詳細の確認・お申し込みはPeatixよりお願いします。

          6月のデスカフェ

          そこにあって当たり前の美しさ

          奄美大島に3年間住んでいたことがあります。 すばらしい島であることは言わずもがな、なのですが、よく感じたのは 「ゆたかな島」という印象でした。 決して経済的に豊かな島ではないのですが、海があり、緑があり、そして人の結びつきが濃厚でした。 集落ごとに季節の行事や儀式が多くあって、地域の運動会には大人も子供もお年寄りもはりきって参加します。 飲み会といえば地域の公民館、赤ちゃんからおじいおばあまでが集まって、カラオケしたり踊ったりとにかく賑やかで楽しく、恋しく思い出されま

          そこにあって当たり前の美しさ

          オンラインでのデスカフェ、月1回ペースで続けます

          【Death and Life Dialogue】 死といのちの対話と題して、ふだんは話しづらい死を含む話題を気兼ねなく話せる場をオンラインで立ち上げます。 Life という英語には人生、生活、生命という三つの意味が含まれます。 「すべてのいのちは死とつながっている」 この当たり前の真実を見つめながら語るとき、わたしたちは自分自身の中に何を見るのでしょうか。 語ることとともに、他者の話に深く耳を傾けることをこの場では大切にします。 誰かの声を、そして自分

          オンラインでのデスカフェ、月1回ペースで続けます

          はじめてのオンライン・デスカフェ

          4月11日(土)はじめてのオンラインデスカフェを終えて、放心状態…。 「対話することで新しい風景が見える」 という感想を寄せてくださった方がいて、感激。 なぜなら、デスカフェを始める企画段階で、 終わった後にどんな風に感じてもらいたいか?という問いに 「世界がちょっとだけ変わってみえる」感じと答えていたから。 自分の経験していないことでも、新しいものに触れて、ちょっとだけ世界のフチがゆるみ拡がるあの感じ。 参加者それぞれがリソースとなって、

          はじめてのオンライン・デスカフェ

          オンラインのデスカフェやります

          「問題は人をつなぐ。答えは人を分断する」問いを深め合う会に。 これは、2月に実施した初回のデスカフェ開催報告を受けて、坐禅の師である藤田一照さんより頂いた言葉です。 この言葉を大切に、死について問い続け、対話し続けるゆるやかなつながりを、丁寧に紡いでいきたいと願っています。 前回開催したデスカフェの報告はこちら。 今の状況だからこそいのちについて答えのない問いを深める機会を持つことは重要と考え、西麻布の泰嶽山大安寺で行うことを企画していましたが、感染拡大のリスクが増す

          オンラインのデスカフェやります

          私の見た死 1. 貫いた人

          訪問看護師として働いていたときのこと。 連携先の病院から紹介があり、 「初診で運ばれてきた時には、 すでに末期がんの疑いが濃厚だけれど、 全ての検査を拒否されたため、 自宅退院することになった」 とのこと。 紹介者の病院側としては、 検査も治療も「拒否」する手ごわい患者さん、として とらえていることがありありと伝わってきます。 それも当然です。 医療者は、基本的には 「病気を治したい人」 「少しでも症状を楽にしてあげたい人」 がなる職業だからです(もちろん例外あり

          私の見た死 1. 貫いた人

          《私の死はまだ見たことがない》

          いま、森美術館で、 『塩田千春展:魂がふるえる』 が開催されている。 私の好きな美術家、会田誠がTwitterで紹介していたので 開幕翌日に見に行った。 (赤い糸で空間を覆った、印象的な写真のインスタレーションは 《不確かな旅》) 展示の中で興味をひかれた作品が 過去のインスタレーション、 《私の死はまだ見たことがない》 だった。 過去のインスタレーションを写真とキャプションで紹介する 小さな展示だったが、 キャプションにあるマルセル・デュシャンの言葉、 「され

          《私の死はまだ見たことがない》