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「小児の言語聴覚士」と出会ったその先に【3】兄がたちまち上手に話せるように。かつて出会った言語聴覚士の背中を追って

家族が言語聴覚士と接点を持っていたことが、結果的に自分の人生に大きな影響を及ぼすことがある。言語聴覚士のあきさんがこの仕事に就いたのも、お兄さんが幼少期に言語聴覚士の支援を受けていたことが理由のひとつだった。

彼女はなぜ言語聴覚士になる道を選んだのか、そして今どのような領域で働き、どんなやりがいを感じているのか、語ってもらった。

兄の発音が言語聴覚士の訓練によって改善。まるで魔法みたいだった

あきさんが小学一年生の頃、2歳年上のお兄さんが言語聴覚士の訓練を受けていた。

「兄は幼い頃から話し方が少し幼くて、小学校に上がってからも“サ行”の発音が難しかったそうです。いわゆる『構音障害』というものです。それで当時通っていた歯科医の勧めで、言語聴覚士の訓練を受けることになりました。

私も幼いながら、兄が言っていることをうまく聞き取れなかった記憶があります。でも訓練を受け始めてから半年ほどで、兄の発音がすごくよくなったんです。当時の私には言語訓練の内容はよくわからなかったものの、「なんだか魔法みたいだな!」と思ったのを覚えています。

また、親が『あのとき言語聴覚士さんにみてもらって本当によかった』とずっと感謝していた姿も印象に残っています」

お兄さんの発音が改善されていく一連の流れは、強烈なエピソードとしてあきさんの心に残ったそうだ。

そして時が経ち、あきさんは高校卒業後の進路選択の時期を迎える。医療系の仕事に就きたいという思いがあったが、医療系にもさまざまな職種がある。どの分野がよいのか、本を見ながら考えていた。そのときふと目に入ったのが「言語聴覚士」という職業だった。

「これはたしか、お兄ちゃんの発音をよくしてくれた人の職業だったかも。そう思って親にも確認を取りました。とても印象が強かったですし、直感で『この職業が自分に合っているかもしれない』とも思ったので、目指してみることにしたんです」

あきさんは同時に、言語聴覚士の数がまだ少ないが需要は多いこと、子どもからお年寄りまで関われるような幅の広い仕事であることなど、言語聴覚士に関するさまざまな情報を得ていた。

「言語聴覚士はコミュニケーションの障害を扱う職業です。コミュニケーションは人間が生きていく上で必要不可欠なものですから、言語訓練を通して患者さんの人生をよりよくできる仕事ではないかと思いました」

人工内耳を扱う仕事に転職。子どもが「初めて音を聞く瞬間」に立ち会う

そうしてあきさんは4年制大学へと進学し、総合病院で成人の患者を担当するようになる。

「子どもをみる小児分野の言語聴覚士になろうと思っていたんですが、その勉強の内容が難しかったんです。勉強すればするほど、子どもの頃に魔法のようだと感じた言語訓練はもちろん魔法ではなくて、言語聴覚士の知識と技術、そして経験の賜物なんだと身をもって感じました。

私は実習の際、子ども相手の訓練や検査がうまくできなかったことが失敗体験になってしまいました。小児分野は向いていないのかなって……。そこで先生とも相談し、まずは成人分野で経験を積もうと思い、その病院に就職しました」

病院での仕事は非常に多忙だったが数年間勤務し、結婚を機に退職した。その後はワーク・ライフ・バランスを重視し、フリーの言語聴覚士として何ヶ所かの職場で働いた。そんなときに『うちの仕事も手伝ってよ』と言われて入ったのが、今の勤務先である。

「現在は大学病院で、聴覚障害をもつお子さんに対する各種検査、人工内耳の調整、そして人工内耳をつけたあとの言語訓練を行っています。

まさか自分が聴覚分野の言語聴覚士になるなんて、思ってもみませんでした。でも現場で経験を積むうちに聴覚分野の面白さに気づいて、そのまま常勤になりました」

人工内耳とは、聞こえを補助するための人工臓器だ。補聴器では補聴効果が得られないほどの重度の聴覚障害をもつ聴覚障害児・者が適応となる。

人工内耳は、耳の奥にある「内耳」という部分に手術で埋め込む「インプラント(体内機器)」と、補聴器のように耳の近くに装着する「プロセッサ(体外機器)」のふたつから成り、インプラントを埋め込む手術のあと、個々の聞こえに合わせて調整することで音が聞こえるようになるのだ。

人工内耳の装着例

その専門性の高さに加え、小児で人工内耳を埋め込む場合の多くは1歳前後の子どもである。これまでとはまったく違う内容の業務だが、順調に慣れていったのだろうか。

「聴覚分野は国家試験レベルの知識しかなかったので、一から学び直しでしたし、検査や調整、訓練と覚えるべき範囲が広くて大変でした。現場で猛勉強しながらなんとか慣れていきましたね」

「でも」と、あきさんはここで、その大変さを超える“仕事のやりがい”について教えてくれた。

「人工内耳をつけるお子さんの大半は、先天性の重度聴覚障害があります。生まれてからずっと音のない世界を生きてきたお子さんに、人工内耳の術後、初めて外の世界の音を聞かせる瞬間があります。

すると、お子さんがさまざまな反応をするんです。びっくりして泣いてしまう子、笑う子、不思議そうにお母さんを見つめる子など。そんな感動的な瞬間に立ち会える仕事なんです」

そうやって子どもが初めて音を聞く瞬間、泣いてしまう親御さんも多いという。そんなタイミングに立ち会い、聴覚の獲得のお手伝いができる仕事に、あきさんは大きなやりがいを感じている。

話せなかった子の“外側”に、“その子の思い”が出てくる瞬間

こうして小児・聴覚に関する領域で働いているあきさんだが、子ども相手の仕事に対する苦手意識は払拭されたのだろうか。

「少しずつ払拭できていると思います。なるべく子どもと同じ目線をもつようにして、子どもが何を見て何を感じているのかをよく観察するようにしています。また、私自身も最近出産を経験したので、お子さんのご自宅での生活がイメージしやすくなりました」

さまざまな業務のなかでも、子どもとのコミュニケーションが多いのが言語訓練の場だ。ここでも試行錯誤は続くものの、印象的な出来事が多いという。

「人工内耳によって音が聞こえるようになっても、自然と言葉が育つわけではありません。適切な刺激や言語訓練を続けることによって、個人差はあるもののだんだんと話せるようになっていきます。

言いたいことがなかなかうまく言えなくて、癇癪を起こすお子さんもいます。でも、一緒に試行錯誤しながら訓練を重ねていき、お子さんが言葉や手話で自分の言いたいことを伝えてくれたときに、とても感動します。その子の“外側”に、“伝えたかった思い”が出てこられたんだなって。

こうした言語的な成長を目の当たりにしたり、それを親御さんと分かち合って一緒に喜んだりするたびに、よい仕事をさせてもらっているなと思います」

親御さんとの関わりのなかでは、親御さんの希望をよく理解しようと心がけている。「この子にこうなってほしい」という希望を汲んで、同じ目標を持つことは、有効な言語訓練を行うための指針となるからだ。

「また、言語訓練で重要なことは、本人のやる気をキープすることです。例えば発音の訓練は病院でだけ行うものではありません。ご家庭でも毎日練習を続けて、自分でコツを掴み、日々の生活のなかで正しく発音できるようになる必要があります。これは小児だけでなく成人にも言えることだと思います。

そこで日頃から、お子さんからの『なんで自分だけこういう訓練をしないといけないの?』という疑問に対し、本人が納得できるように答えたり、やる気が続くようにさまざま工夫をしたりして、なるべくお子さんが主体的に訓練に取り組めるようはたらきかけています」

不安や焦りを分かち合ってもらえる言語聴覚士になりたい

あきさんは現在、育児をしながら復職し、以前と同じように子どもたちやその親御さんに日々向き合っている。最後に、子どもの発達に関する悩みを抱えている読者に対して、メッセージをもらった。

「今はネットからさまざまな情報を得られます。調べて知識を得ること自体は何も悪くありませんが、そこに答えを求めるのはよくないのではないかと思っています。発達は個人差が大きく、背景も人それぞれです。誰かの経験談に無理やり自分の悩みを当てはめて答えを求めようとすると、悪循環に陥る可能性があるからです。

だからこそ今抱えている不安や焦りは、主治医や療育に関わる担当者など、直接関わっている人たちに相談するのがよいと思っています。

そして、そうした不安や焦りにさいなまれるときに、担当の言語聴覚士の顔が浮かんできたら嬉しいなと思います。私もそんな頼れる言語聴覚士になれるように、日々努力していきたいです」

かつて言語聴覚士の支援を受けたあきさんのお兄さんは今、自身の会社を経営し、人前でプレゼンテーションして仕事を獲得するなど、コミュニケーションを必要とする仕事で活躍している。そんな現在の姿は、あのとき言語訓練を受けていなかったら現実にならなかったかもしれない。

あきさんは今日も、“まるで魔法みたい”な仕事に全力投球している。

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