本当の深夜
※昨日寝落ちして書きそびれたため、こちらのnoteは1/27分になります。1/28分もあとで更新します。
深夜の喫茶店に行きたい。
喫茶店が好きだ。京都や、関西に喫茶店は多い方だと思う。古くからあって、でも若い人も、もちろん常連さんも行きやすい雰囲気で、居心地が良いような、そんな雰囲気が好きだった。チェーン店のカフェのような、雑踏のようなガヤガヤした雰囲気がないのだ。
「深夜の喫茶店に行きたい」と思ったきっかけは、誰かがツイッターでつぶやいていたからだったような気がする。〝深夜の喫茶店でダラダラと話すような、そんな雰囲気が居心地良い〟と。
深夜に喫茶店に行ったことはわからないので、その雰囲気は未知だ。けれど、なんとなく想像ができる。深夜の暗くて重い、けれど静かな雰囲気に包まれながら、飲むコーヒーはきっとおいしい。そして、その中で作業をしたらきっとはかどるのではないだろうか。
しかし、問題はわたしが夜に強くないということだ。どちらかというと、朝方。夜に作業をするのは、本当に切羽詰まったときのみだ。だって、眠気と戦いながら書いたものは、ミスが多いからだ。
単純に誤字・脱字が多くなるだけでなく、文章が単調になる。
深夜に作業をしているということは、それだけ締め切りが近いということ。ということは、まずは完成させなければいけない状態にある。完成が目的になると、「分かりやすくて良い文章」という目標は、一旦置き去りになる。
そんな中で書いた文章は、たいして可もなく不可もなく、という状態になる。単純に、良くないのだ。
ならば、読書はどうだろうか。深夜にダラダラと本を読むのは嫌いではなかった。むしろ、好きだ。夢中になって、気がついたら時計がAM3:00という数字を照らしていることなんて、ザラにある。そうやって慌てて寝るけれど、不思議と「遅くまで起きてしまった」という残念な気持ちは消えている。充実した夜更かしにできる。
喫茶店というと、〝ゆっくりする場所〟というイメージが近い。だから、パソコンを持ち込んで仕事モードになるというのは、なんだかちがう気がする。読書の方が、きっと自分も周りも心地よい。
ダラダラと話す、という目的になると、居酒屋でもいいのではないかという声が聞こえてきそうだけれど、ちがう。居酒屋のお酒の勢いで話すあのスピード感も好きなのだけれど、やっぱりお酒が入った話なのだ。真剣な話をしているけれど、真剣じゃない。あとには残らない、その場だけの話が多い。
喫茶店は、もちろんお酒はない(あるところもたまにありそうだけれど)。だから、本当に話すことができそうだった。
というわけで、深夜の喫茶店に行きたい。