涙の記憶


とある記事を読んで思い出したことがある。

中学生の時、わたしは吹奏楽部に入っていた。
まだ不得意なことも特になくて、勉強もそれなりにできて、友達もいて、何にも困っていなかった頃のわたしは自分に自信があって、学年リーダーをつとめていた。
先輩からも同級生からも信頼されていたと思う。

順調な中学生活を送っていた頃、事件は起きた。
学年副リーダーとコンサートミストレス(学生指揮)のカバンに悪口が書かれた手紙が入れられたのだ。
なんてひどいことをするやつがいるもんだと思った。副リーダーとコンミスに入れられてるんだからお前もだろうということでカバンを漁ったら自分にも入れられていた。
(カバンの中が散らかっていて、見つけるのに時間がかかった。自分でも驚いた。)

顧問を主体として、話し合いが始まった。
顧問は何やら精神論を語っていたと思う。しかし気付いていた、その便箋が誰のものか。今考えると、僻みとか妬みだったんだと思う。その子はあまり容姿に恵まれていなくて、勉強もできなかった。でもその子はひとりっこで、おばあちゃんやお母さんにとってもかわいがってもらっていたから、性格も優しくて、人に何かをすることをケチったりしない子だった。正直それが羨ましくて、なんでこの子はあんまりかわいくないのにそんな堂々とした立ち居振る舞いができるんだろうなんて思っていた。そう思う自分が大嫌いだった。

手紙をもらったふたりはフルートを担当していて、かわいかった。感情を出すのに躊躇がなかった。だからなのかその場で泣き始めた。わたしは泣けなかった。だってやった人がわかっていたから。どうして手紙を書くという行為につながってしまったのか、どうしてカバンに入れてしまったのかについて考えていた。

そうしたら、あろうことか顧問はわたしのせいにしてきた。お前だけ泣いていない、お前の自作自演なんじゃないかと。
驚いた。引いた。軽蔑した。
相手の目に見えるように感情を出さないと、心が動いていない、傷ついていないとジャッジされてしまうのか。なんということか。
違いますよ〜と笑いながら言った。笑顔を貼り付けた裏では泣いていた。

今思うと多分その子の黒い感情の芽生えに立ち会ったんじゃないかなと思う。寵愛されて育ったお嬢さんが、ただ生きているだけでは構ってもらえなくなって、妬みや僻みを手紙にしたんだと。

素直に泣けない自分の頭がおかしいんじゃないかと悩んだ自分は、今よく泣いている。
よく泣くやつだと思っている友人もいると思う。

感情を剥き出すことによって人を動かしたり、支配したりするのはよくない。エゴだ。
目に見えるものが強いわけでもなく、正しいわけでもない。
ただ、人の前に自分をわかりやすく差し出せる人間が強いことはこの時強く理解した。

最近わたしはアレルギー性の結膜炎にかかって、よく目から涙が出てくる。ああこれは目が戦っているんだなあと思ってタオルやらで拭く。
その度にとまではいかないけれど時々思い出す。

手紙をくれた友人よ。
どうかお元気で。旦那さんとずっと幸せにね。

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あみ
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