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【名画をプロップスタイリングしてみる Vol.8】アンリ・ド・トゥールーズ・ロートレック「個室の中(ラ・モールにて)」
今日の1枚はアンリ・ド・トゥールーズ・ロートレックの「個室の中(ラ・モールにて)」
ロンドンのコートールド美術館にあります。
ロートレックはパリの文化が花開いた19世紀末ベル・エポックの華々しい享楽の時代に活躍した画家です。
彼は由緒正しい名家の生まれで、両親はいとこ同士でした。近親婚に起こりやすい遺伝子疾患により、14歳の頃転倒による骨折をきっかけに両足の成長が止まってしまいます。このことが原因で父親は障害を持ったロートレックのことをあからさまに拒絶し、彼はとっても傷ついてしまいます。悲しい。
そんな差別に悩み苦しんだ彼を受け入れたのが世紀末のパリ、モンマルトル。この時ムーラン・ルージュのようなキャバレーやナイトクラブが隆盛を極めていました。
ロートレックは娼婦や踊り子のような夜の世界で侮蔑されていた女性達に自分と似たようなものを感じる…と共感を持つようになり、足繁く通い、彼女たちをテーマに絵を描くようになります。彼の型破りでユーモラスな絵は瞬く間にパリで人気を博しました。
また異常なほど旺盛な性欲があったそうで、娼婦たちと頻繁に関係を持つデカダンな生活を送っていたそうです。
もう、みんながみんな狂ってたんだろうなこの時代。
わたしがこよなく愛するバズ・ラーマン監督の映画「ムーラン・ルージュ」にもロートレックが出てくるのと、この時代のことが1発でわかるので未見の方はご覧ください。
とは言え日頃少なからずある差別への苦しみと、自分の醜さによる絶望やストレスは溜まる一方で、アブサンのような強いお酒に逃げるようになります。
重症化するアルコール依存に加え、売春婦依存も益々ひどくなっていき、梅毒にもかかっていたと言われています。
そんな最中に描かれた絵がこちら。
舞台は妖しい秘密のカフェ「ラ・モール」。「死んだネズミ」という意味だそう。まじかよ。歓楽街として有名なピガール広場にあり、当時は高級娼婦との逢引の場としても使われていたそうです。
描かれているのは年老いた高級娼婦ルーシー・ジョルダン。真っ赤な口紅をつけて不気味な笑顔をこちらに向けています。恋人を連れてこのカフェにやってきたのでしょうか。
この絵を見た時に、下品なほどに香る強い香水とアルコールの匂いが混じった香りがぶわっと押し寄せてきて、むせてしまいそうになりました。それと同時に、なんて愛しくてなんて孤独な絵なんだと泣きそうになったのを覚えています。
左のランプの緑の光が暗い店内を照らしていますが、赤いソファーとの濃厚な色彩の合わせが品と優雅さをことごとく欠いていてたまらないですね。
ジョルダンは熟れた身体でこちらに微笑みながらこのパリに、そして自分の今の姿に、この先の未来に何を想っているのでしょう。ロートレックはきっとその想いを感じ取っていたのでしょうね。だからこそこんなに泣きたくなるような愛のこもった絵になってるんだと思います。
ロートレックはこの絵を描いた2年後に37歳で亡くなります。
彼は俗っぽい官能的な描写ばかりをしていたわけではなく、彼女たちの日常の中にある静かな瞬間もたくさん描いていました。
時には娼婦同士のケンカの仲裁に入ったり、時にはラブレターの代筆をしたり。
彼女たちはロートレックにとって最高のモデルであり同志だったんだろうな。