ウィーン・プラハ旅行【ベルヴェデーレ宮殿】鑑賞レポ①
7月、オーストリアのウィーン&チェコのプラハに行ってまいりました!
行って気づいたのですが、私コロナ前ってまだ対話型鑑賞知らなかったので「鑑賞」に対してかなり適当なマインドだったことが発覚し(ただ見た気になってた)、今回初日にして「これはSNSやってる場合じゃねぇ!めちゃくちゃ疲れる!見るだけじゃなくて考える体力を死守しなければ!」という感じで、「久しぶりの海外旅行、気分転換ごきげん乾杯~♡」なんて感じではなく、どう考えてもこれは修行、毎日ぜぇはぁ息切れしながら、心も大いに波立ちながら、芸術家たちが過ごしたその地でその空気を感じながら至極の作品たちと向き合うという贅沢な日々を過ごさせていただきました。
そんなわけでレポをまとめていきます!
まずはウィーン。ベルヴェデーレ宮殿上宮。クリムトの「接吻」がある美術館です。
リヒャルト・ゲルストル
2階のフロア入ってすぐにリヒャルト・ゲルストルの気の狂った笑顔自画像があって、きゃー♡ってなりました(写真最後↓にあります)。この前東京で見た「シーレ展」でもいくつか作品が来ていましたが、その時に結構衝撃で。驚くほどタッチが混迷を極めていて、こいつが世紀末ウィーンの中で一番ピュアで気が狂っとる。シーレよりギリギリ。ココシュカより爆弾や。推せる。と思っていたのですが、その中でもこの笑顔自画像は本当にすごい。下から懐中電灯で顔照らしたみたいな煽りライティングの中、めちゃくちゃ笑いながらめちゃくちゃ泣いてる。どないしてん。白目にも見えるし涙を溜めてるようにも見える「白」の発色が思ってたよりすごく煌めいていて、あったかいお茶を出してあげたくなりました。
グスタフ・クリムト「The Bride」
そんな感じで「接吻」に辿りつくまでに怒涛のいい絵が現れるのですが、その中でもクリムトの「The Bride(花嫁)」が見れて本当にうれしい。
クリムトが死んだ時にアトリエにまだ描きかけの絵が2つあったのですがそのうちの1つがこれです。
まずなにが最高って、肌の色がほんとにファンタジー。クリムトって肌に何色も使うんですけど実際にそのあまりにも美しい色の重なりを見て、これはなるほど麻薬級の心地よさ…!うっとり…!ってなりました。女性の肌の質感とか柔らかさとか温かさとかっていうものはもちろん、彼が人に対して感じてる「美」が「色」で表現されている。
これはシーレにも共通する描き方なんやけど、誰しもが複雑さを持ち合わせていることがこの多層的な色から感じられ、より個人の人間性が伝わってくる。
そして左端のこちらを見る女性の眼差しよ…!くっ…!「死と生」や「The Virgins」などの塊シリーズには多くの人が夢見心地でまどろんでる中、現実を射るように見ている人が1人だけ描き込まれてるのですが、遠藤はその子たちがまじで好き。
快楽の沼に落ちて現実逃避ってだけじゃないから。
ちなみにクリムトって衣服のような布を描く前に必ず裸体を描いてからその上に重ねていくのですが、この作品ではまさにその過程が垣間見えるんです!いや~たまらんですな。儀式みたいなもんじゃないですかこれって。最後は見えなくなるけど、そこに「ある」力みたいなのって。よいですな~~~。未完というロマン。く~~!
というわけで一生喋り続けかねないフラグが立ちまくってるのですが、文字数があれなので次。
グスタフ・クリムト「接吻」
「接吻」部屋へ。
思ってた以上に作品が大きくてびっくりしました。あと展示位置が高すぎて全然上の方が見えない(文句言うな)。
今まで幾度となく画像として見てきた中で、背景がいまいちどうなってるのかわからなかったのですが、実際見てみて「すっごい金の粒が降ってる」って思いました。ただの箔の煌めきじゃなくて「降ってる」。
そこから『ダナエ』を思い出しましたが、ゼウスか~となると当初から感じてるこの男性が結構強い力で女性の顔をホールドしてる、無理矢理感が否めへん説が濃厚になりそうで嫌なのでどうしたもんかと思いましたが、隣に「ひまわり」があって、あ!ってなりました。構図一緒やん。この2作品って連動してるんですね!2作品並んでみて初めてわかるこの展示の良さよ。
というわけで「ひまわり」と「接吻」を比べるとどういうことが言えそうか…?いろいろ考えを巡らせてみてますが、改めてこの作品はみんなで対話型鑑賞したい!と思ったので取っときます♡
はぁ、なんていい絵。
ちなみにここの美術館にはクリムトのいい絵が他にもいっぱいあるのですが、感想は割愛(ちくしょう)
エゴン・シーレ「死と乙女」、「家族」
そして!3階にはシーレの「死と乙女」、「家族」が向かい合わせに展示されてます。
ちょっとすごかった。遠藤、今回の旅でじっくり時間をかけてシーレの作品を見て改めて大好きになりました。ビジネス繊細だと思ってたけど、そうであっても演出家として極まりすぎている。精神が気高いが故に痛々しさが野暮ったくならない。
ぱっと見土臭くなってもおかしくない色してるのに(言い方)形状が、感覚が研ぎ澄まされててめちゃくちゃ美しい。
1917ぐらいまでと死ぬ1918年で描き方が少し変わるんですが丁度この2作品を見比べるとその変化がわかりました。
個人的にはシーレの手の描き方が超ド級にやばいと思ってるのですが、「死と乙女」の方は岩のような骨ばった細い腕や指の関節、節には血が通ってないんだけどそこに確かに血が感じられて痛い。
よく見ると塗ってるとか描いてるとかじゃなくて刻んでる。削ってたりもしてる。(警報とか鳴らないから0距離で作品見れる!)
一方で「家族」の方は肉がある。血が通っている。でもこれ未完なのかな?子供の手の輪郭が無い。なんでやろ。掴んでるのに不確かさがすごい。
常に完璧には到達しない不安がどちらともにもあって、得たもの、失ったものが変化しながらもシーレが歩んだ人生を想像するとまじでおかんみたいな気持ちになります(え)
続きはレオポルド美術館の方で!
お気に入り作品
さて、最後に簡単に、こちらは私の好きな作品です。
特に今回オーストリアの画家のルドルフ・ヴァッカーがまじで気になりすぎて夜も眠れない日々を過ごしているのですが、あちこちの美術館で彼のいい作品が見れてご満悦です。
最初は「なんやねんこの人、意味不明か」と心の距離がありましたが(ひどい)、いくつかの作品を見て、「やだ、人じゃん」って思えたので良かったです(雑な感想過ぎる)
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