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2021 荒ぶった5大トピック

①鏑木清方に導かれて


今年いろんな展覧会に行って、もし鏑木清方がいなかったら日本画の歴史は全然違ったものになっていただろうな!ということに気づきました。近代の様々な作品を見ていると、どこにでも清方の影がある。彼の描いた絵はもちろん、その人間性も含めて魅了された人が本当に多かったことがわかりました。

日本を代表するコレクター福富太郎がコレクターになるきっかけになった画家であり、年下の画家小村雪岱とは泉鏡花の小説の挿画や装丁を介してお互いをリスペクトし合う素晴らしい関係、新版画家の川瀬巴水は清方門下ならではの忘れられゆく古き良き明治時代の風情を残すマインドを受け継いでいる。上村松園とは東と西とでお互いの存在を意識し合い美人画のレベルを引き上げた。

そして歌舞伎「忠臣蔵」の5段目に登場する\スケべ顔のいのしし/というNEW推しキャラへの出会いを遠藤に導いてくださった清方(そこ?)。

とっても優しい人で、おやつが大好きで、驕り高ぶることなく、真摯に穏やかに画業に打ち込まれていたという印象がありますが、彼が描いた絵や姿勢には嘘がなく、愛と美に溢れています。大雑把に生きていたら見過ごしてしまうような些細な何気ないところにある美しさはもちろん、隠されることによって引き出される美しさというのも清方の絵を見ていると感じることができて、惚れ惚れしてしまう。清方の存在の大きさ、稀有さに改めて気づいた1年でした。

来年はついに「没後50年 鏑木清方展」が東京国立近代美術館で開催されるので、本当に楽しみです!!!



②あやしい絵展、上村松園展、アナザーエナジー展から見るフェミニズム


リンダ・ノックリンの「なぜ偉大な女性芸術家はいなかったのか」を皮切りに、性差別に関して芸術の面から深く学び取り組んだ1年でした。「あやしい絵展」は大々的にフェミニズムについて切り込んだわけではなかったにせよ、世紀末から近代にかけて洋の東西を問わず女性が鬼や妖怪や魔性の存在(ファム・ファタル)として描かれてきた背景、また上村松園や島成園などの女性画家が男性社会の中でどうやって画業に取り組んでいたのかということなどなど何も知らなかった遠藤からしてみれば知って疑問を抱くきっかけになったという点で今年行って大いに良かったと思った展覧会です。

松園のこともこの展示で初めて知りました。女性画家としての道を切り開いた彼女についてもっともっと知りたいと興味がわき、タイミングよく京都でまとめてたくさんの作品を見れて、より彼女の筋の通った姿勢に刺激を受けました。

私のオンラインサロンの「アトリエ遠藤」では、地味に毎月1つの絵をみんなで1時間程度じっくり見て思ったこと感じたことを話してみるという活動をしているのですが、今年は何気なく選んだ作品が読み解いて見ると実はそこに女性蔑視が隠されているのではという作品が多くてびっくりしました。

キリスト教が「女は愚かである」をベースにしていることから宗教画にはそういった要素があるのはもちろん、「男性を誘う裸の妖艶な女性(妖精)の絵がなぜ高く評価されてるのか」「規則に背いた女性に死が与えられる物語絵がなぜ多いのか」「戦前、戦後の女性の自立、労働について描かれた絵」「男性の理想を押し付けた支配欲のある神話画」など様々な作品を通して芸術における女性の立場について知っていくことで、がっかりすると同時に知ることでこれから変えていける何かがあるはずと感じました。

そして先月アトリエ遠藤のメンバーで『アナザーエナジー展』に行ってきたのですが、70歳以上の世界で活躍する女性現代美術家の16名の作品を鑑賞して、とてつもない創造のエネルギーと自分の意見や声を発信するのだ!という気概を体感することができて、なかなか現代でも変わらない女性の低い立場に落胆している場合ではなく、芸術の開かれた門戸の広さと女性が持つ力強さに可能性を感じ、大感激しました。

2022年はもっとこの課題について取り組んでいきたいです!





③知ろう戦争画



遠藤はメンタルがヨボヨボなので、悲しいことからつい目を背けてしまう傾向があるのですが、今年は意を決して避けては通れない戦争画に意識的に向き合ってきました。

第二次世界大戦の前と後では画家たちの描くもの(世が求めるもの)が大きく変わったということをピカソやマティスなどの例で知ったり、ドイツに行った時にエミール・ノルデの企画展やナチスの防空壕のギャラリーに訪れるなど今までヨーロッパやアメリカの芸術については意欲的に学んでいたのですが、どうも当事者意識がなかったのか歴史的事件として処理してしまっていました。

そんな中で今年「福富太郎の眼展」で満谷国四郎の「軍人の妻」などを見たのですが、福富太郎がなぜタブーとされていた戦争画を集めたのか、それは、戦争に負けてしまった日本が、なかったことにしよう!と戦争画を嫌ったため、散逸したり廃棄されてしまうことを恐れて後世につないでいくために集めたということを知って、福富太郎の心意気というか使命感に感化されて、私が知らなくてはいけないのは日本の戦争画だとはっ!とさせられたのがきっかけになりました。

そんなタイミングで今年は小早川秋聲と川端龍子の意欲的な展覧会があって、訪れることができました。日中戦争〜太平洋戦争下、戦地に赴いた従軍画家がいたり、彩管報国という形で国内で国民の意思を統率するために尽力した画家もいたりと本当にたくさんの画家が貧困の中で自分の生きる意味や価値を感じるために戦争に加担せざるを得なかった実情を知ったし、戦後手のひらを返したように戦犯として捕まった人や精神的に病んでしまった画家もいて、芸術の尊厳がむちゃくちゃにされたことにとても憤りと悲しみを感じました。

先日はただ富士山を描いた戦争画、横山大観の「雨霽る」も足立美術館で見ることができました。不安な気持ちにさせるほど霧が霞む中でも生活の営みが感じられるのと、そこに確かにそびえる富士山のなんと力強いこと。絵自体は静謐で美しかったのですが、これが戦闘機に化けたと思うと苦しかったです。

戦争画の研究は政治的問題や配慮を背景に抱えているためになかなか進んでいないそうなのですが、戦争に協力してしまったという誤ちであったとしても過去を知ることは重要なことだと感じているので、いつかアメリカから返還された戦争画153点を保管している東京都国立近代美術館での作品が少しずつでも見れるように、そしてなかったことにされなければいいなと思いました。



④!NEW!新版画!NEW!



今年は「新版画」の年といっても過言じゃないくらい、名作揃いの展示が盛りだくさんでした!

最初は新版画?なにそれ?浮世絵で良くない?って感じでしたが、見れば見るほどこれはNEWや!!大革命や!!と虜になりました!

まず最初に訪れたのが「吉田博展」。版画と言えば、版元と絵師と彫師と摺師による協業です。いつもはついつい絵師だけにフォーカスを当ててしまうのですが、新版画の面白いところは彫師と摺師にもスポットライトが当たるところだと思いました。吉田博の作品はまさかこれが版画?!絵の具で描いたやろ?レベルの美しい彩り、グラデーションが響き渡る作品が胸をトゥンクさせるのですが、彫師めっちゃ板彫らなあかんし、摺師信じられへん回数バレンで摺りまくらなあかん。1mmもずれてなくてこれぞ匠の技…!!!みたいなのがキラキラ輝いてて、ついでに博は水のキラキラをとっても素敵に表現する人なので、もうなんかキラッキラしてました。山や海や川や海外を旅した風景など、情感たっぷりなそれらの作品にうっとりした贅沢な時間でした。

そして「笠松紫浪展」。彼も鏑木清方の弟子。紫浪の作品は初期の版元が渡邊庄三郎のが群を抜いてよかったです。淡い紫や水色などの色合いだけで摺る作品が好きでした。本のしおりに押し花挟みたくなるレベルで乙女な気持ちになりました。

最後に「川瀬巴水展」。私もうびっくりしました!!!!川瀬巴水、すごい!!!マッカーサーは日本に着いた途端「hiroshi yoshida dokoniiruno?」って感じで吉田博推しだったそうですが、私は巴水の構図のテクニックの凄さに気づいてしまい、その努力の証と感性の豊かさに心打たれました!彼、清方のところで修行してた時におそらくきっとものすごく勉強とトレーニングしたんだと思う。そして吉田博と笠松紫浪と違った点は、最後まで版元が渡邊庄三郎だったのも彼にとってすごく良かった点だと思いました。3人とも、デビュー時は繊細で叙情的で紅茶でもお召し上がりになられます?って感じなんですが、後半どんどん大味になって\どーん/って感じになっていくという謎の共通点がある中で、渡邊庄三郎プロデューサーのとこの彫師と摺師の異常なレベルの高さによって巴水の作品はその超一流クオリティが保てて、職人すごいな〜〜〜〜〜と感動しました。

新版画は空気感、時の流れ、季節の移ろい、色彩の豊かさを存分に堪能できる麗しい表現で、日本人特有の愛すべき美的表現の完成系の一つだと知ることができました。



⑤信仰に物申したい


神や仏など、信仰の対象がない世の中って想像できませんよね。それほど古来より信仰心は人が生きていく上で必要な拠り所であり、芸術もまた、そんな信仰と切っても切れない関係で結びついてます(誰)

というわけで今年はごりごりに宗教とそれに付随する芸術を勉強するぞ〜!!と思ってまず仏教から行くぜ!!と、手塚治虫先生の「ブッダ」を読みました。釈迦とタッタとの関係性に涙しました。それから山岸凉子先生の「日出処の天子」を読みました。聖徳太子がお耽美で史実とは異なるファンタジーBL要素も盛りだくさんで遠藤大盛り上がりでした。それからおかざき真里先生の「阿・吽」を読みました。推しは最澄です!

あれ、べ、勉強…?っていうか漫画読んでるだけでは…と自分でも心配になったので、ちゃんと展示もいろいろ見にいきました。

仏教が伝来する以前の日本では、信仰の対象が山や滝や樹木などの自然でした。三輪山もその1つで、山自体が御神体だったのですが、奈良時代に神と仏を一緒に調和させちゃお♡っていう神仏習合ってのがあったことで三輪山にもお寺ができて、そこに祀られたのが「国宝 十一面観音像」。トーハクにこの特別展を見に行ったのですが、大きくて優美で温かくて素晴らしかったです。普通に凄すぎて拝みました。明治時代の廃仏毀釈によるこの仏像を巡るドラマも涙無くしては語れないので、気になる人は調べてください(放棄)

そして『聖徳太子1400年遠忌記念 特別展 聖徳太子と法隆寺』展。今もなお太子信仰は全国各地に残っていますが、なぜそれほどまでに聖徳太子が愛されているのかというのが十二分にわかる展示且つ、法隆寺の金堂から飛鳥時代の仏像の最高峰である薬師如来きてんのもちょっと信じられなかったし、「国宝 伝橘夫人念持仏厨子」の超絶技巧によって生み出された極楽浄土の美しさが忘れられない!!!

それから『特別展 最澄と天台宗のすべて』展。最澄が亡くなられたあと、その意思を受け継ぐ人たちが天台宗をどう繋げていったかという点に重きが置かれていたのですが、その中でもまさかの「国宝 六道絵(聖衆来迎寺)」が見れて大歓喜でした。仏教を広めるために地獄という概念を生み出したのが天台宗の源信という僧だったことを知って、こいつか〜〜〜ってなりました。

というわけで、日本の信仰に関して「自然」、「仏」、「聖徳太子」と様々な視点から知ることができました。でもただ与えられたものを吸収したまでで、疑問や問いを持つところまで知識が足りていない&理解が深められていないので、引き続き学んでいきたいです。

キリスト教については今年は旧約聖書をしっかり勉強したので、来年は新約聖書バリバリやります!こちらに関しては文句たらたらに言えるほど理解できるようになってきています!




\よいお年を!/

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