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荒ぶる芸術愛2024ふりかえり

昨年とおととしは50展以上見に行っていたので、今年は多分忙しかったんだと思う。海外も1度も行かなかったな。

年明けの島成園にはじまり、三島喜美代ルイーズ・ブルジョワソフィ・カルと、いいタイミングで私を鼓舞してくれる素晴らしい展示に巡り合えて、その都度回復しながら今年を終えることができた。ありがたい。

存在の確かさによって安心感を得るために形にしていくブルジョワ。
黙らせようとする圧力に屈せず自分の意思や主張を形にする成園。
確かなものがなくても残る何かがあると探し続けるソフィ・カル。
いつか壊れて無くなる脆弱さと、永遠に残る普遍性は同時に存在するのではないかと遊びながら問い続ける喜美代。

「形とは?」という問いに対して、この4人だけでもいろんな見方がある。

私はこの4人でいうとブルジョワタイプなので、形にならないと見えないもの、形にすることでやっと気づけること、わかるもの、守れるものがあるなと信じているし、見えないものやわからないものはやっぱりとても怖い。
言葉にしても、明確に言葉にしてわかりたがるところをやっと最近「曖昧でいい」で置いておけるようになった。
とはいえ未だわからなさが勝手につくりあげる不安からなかなか逃れることができないのだけど、それをまず自覚すること、そしてそれはいいとか悪いとかではないということがいろんな人の作品を見て、いろんな人の見方を知って、そうやってはじめて癒される、回復できるんだなと改めて思った。

ブルジョワタイプの人は特にソフィ・カルの作品をオススメしたい。あれはまさに楽に生きていくための考え方として1つの解だと思う。愛という一番見えそうで見えないものが見えてくる。

余談だけど、不安に関してで言うと『インサイド・ヘッド2』がまさに「不安とは?」をアニメの力で形にしてくれた映画で、あれによって救われた人も多いのでは。
少なくとも私は見終わったあとすぐに最後の司令部でのシーンを何回か巻き戻しして脳みそに刻みつけた。形になることで不安は安心に変わる。

ところで話は変わるんだけど先日、パフォーマンスアーティストのマリーナ・アブラモヴィッチへのインタビュー記事を読んだ。

「身体が存在することがなぜそれほど重要だとお考えですか?」という問いに対して、

「身体は小宇宙です。自分の身体を理解することで、世界を理解することができます。しかし私たちは実際には自分の身体にあまり注意を払っていません。私たちは常に忙しく、朝起きて、メールを開き、電話をかけ、メッセージをチェックし、友人と話し、夕食をとります。何もしないでただ座ってるということがありません。
ですが、私にとっては"何もしないこと"が何かの始まりなのです。その時はじめて身体が私に話しかけ、それが何であるかを理解することができるからです。 身体は古代の知識を持っていて、直感で何をすべきかを正確に教えてくれます。
私たちは心を台無しにしています!心は考え過ぎです。」

と答えてて、もうまさに今の私はこれだ…!となった。『心が考え過ぎ』だし、『頭で感じてる(感じた気になっている)』。

『心が感じる』って当たり前なんだけどすごく大事で。
そういえば今年、感情に蓋をしたタイミングがあったことを思い出した。そこから感情に嘘をつくことができるようになってしまって、「うれしい!楽しい!」も頭で《この出来事が起きてるということはうれしいし楽しいはず》と考えてから感じて、うれしそうな私を演じていた自覚がすごくある。
悲しいことも《悲しくない》と思い込んで早く忘れることを優先するように過ごしていた。
逆にネガティブな感情が湧いてきた時は《これはきっと思ってはいけないことなのだ》とよくわからない正義を選択していた。

だからなのか今年も毎日ありがたい環境で過ごせて、一生懸命生きてたはずなのに充足感が全然なくて、なんでだろう、とてもしんどいなと思っていたので、このインタビューを読んで心に蓋をしたことを思い出せてよかった。
いろんな感情がうまく溜まってなかったんだきっと。

来年は心で感じたことは頭で考えて別のことに変換させずに、心で感じたままを受け止めるのを意識してみるのと、遺伝子レベルで身体が起こすことに素直に向き合って頭で嘘つかないようにしたい。
いつだって芸術が私に大切なことを教えてくれる。来年もたくさんいろんな作品みにいこ~っと。
いよいよヒルマ・アフ・クリントに会える♡

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