できるひとが できることを できるだけ
これはフランスのパランパルミルで、大事にされている理念です。
私はウィーズの取り組んでいる活動に触れて16年目になるわけですが、最初の頃は『なんでもできないといけない』と思っていたように思います。
子どもの対応はもちろんのこと、保護者の対応も、新しいことの企画も、お金のことも、事務作業も、チラシやパンフレットなどの制作物も自分自身でなんでもできないと、自分が必要と思っていることや、やろうと思っていることは実現できない・・・。
そんなふうに思っていました。
そういう思いがまだまだ強い時にNHKでパランパルミルを見たのですよね。
それで「あー!これやりたい!!」と思って、とりあえず動いてみたものの、これを実現するにはいろいろと準備をしないといけないことがあるということにぶち当たり、『私にはそんなスキルも力もないわ・・・』と思って(というか実感させられる機会が何度もあって)頓挫したのでした。
パランパルミル実現を諦めた私は、とりあえず『できることはなんでもやろう』という方針に切り替えました。
これでもまだまだ自分への驕りがあることは当時はわかっていませんでした。
できることは何でもやろうと思ってやっていると、「できないことのできる部分」を探し始めて、いつのまにか無理をしていることがあります。
一見できているように見えても、それにはすごく時間や労力がかけられていたり、欠損があったりします。
家族支援の現場では、なんでもやろうと頑張る親御さんに会うことがあります。「子どものために」という思いが多いですが、「良い親に見られないと」「子どもを一人前にしないと」という不安や恐怖が根っこにある場合もあります。
得意でないことは、それが得意な人にお願いする
それは悪いことではないんだということを受け入れるのは、なかなか難しいのかもしれません。
たとえば料理が得意ではないお母さんが、子どもに「お母さんと一緒に卵焼きをきれいに焼けるようになりたい!」と言われたとします。
お母さんも得意じゃないけれど、ちょっと頑張って子どもと一緒に練習しようとする
・・・でもうまくいかなくて、何度も何度もやってみる
・・・結果卵1パック10個全部使ってしまった
・・・夜ごはんは失敗した卵焼きオンリー・・・
みたいなシチュエーションで、これを「これも楽しい親子のひとときだよね」と笑い合いながら過ごせるなら、素敵な時間だと思うんです。
でも、お母さんがすごくストレスを感じて、途中でイライラしてきたり、無駄遣いした卵に気を取られてしまったりしたら、楽しい時間では無くなります。
こういう「心が乱れる時間」が生まれてしまうのならば『手放す』ということは本当に大事なことです。
ジェットコースターに乗ると気持ちが悪くなるお母さんが、子どもに「ジェットコースター乗ろう!」と言われたら『ごめんね、お母さん気持ち悪くなっちゃうから、お父さんと乗って来てくれる?』とNOが言えると思うのです。
そういう物理的にNGなときだけではなくて、誰かを頼るということで関わる人みんなにとって実は良い結果になるということが、もっと社会でポジティブに選ばれるようになっていったら良いなと思います。
そういう点で、フランスの「できるひとが、できることを、できるだけ」というスタンスは、どこにも無理を生まない=心が乱れる時間を生まない、素敵な理念だなと思っています。
ひとがひとりでできることは限られています。
だからこそ社会があって、素晴らしい体験をすることができる。
その喜びに満たされた地域社会が広がっていくと良いなと思っています。
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