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‘’私は私で良かった‘’という最大の自己理解


自己理解が深まってくると感じることがある

“あぁ、私は私でよかったんだ”という気持ち。


連日この話題なんやけど、

武士、ぽわん、
私は武士なのかも?という気づきを得て

過去、現在と思い返したりしている。

そんな中、
加藤さんがクローズドで発信されている
かとらじ、を聞いていても

私は私でよかったのかも

そう思う機会が増えた。


加藤さんががっつり武士として
話をしてくれているから
なのかもしれない。


で、この
“私は私でよかったんだ”
という感情について、

なんでこの感情が起きるのか
今日は考えてみた!(笑)

私はこういうのが好きでな。(笑)


で、思ったの、

これって裏を返せばずっと、

私は私に対して、
「こういうところが嫌いだ!!」

とか、

「こんなところがダメなんだ!!」

と責め続けてきたからなんだなと。



周りがどう思っていたかは知らないけど
私は、昔からはっきり言うところがあった

自分の想いが強いからだ。

少し離れた人からは感じにくいが、
距離が近づけば近づくほど
(遠慮がなくなるほど)

ド・正論をかましてしまっていた。

ちょっとおもしろいかな?と思って
きつめに突っ込んだことが
その人を傷つけてしまったこともあるし、
怒らせてしまったこともある。

調子に乗って、ふざけていて
という感じではなく、

私は、ド・正論を使って
刺してしまっていたようだった


もちろん、傷つけようと思って
言っているわけではないし、
嫌われたいなんて全く思ってなかった。


でも、母からは
「〇〇ちゃんのお母さんから
○○ちゃんが傷ついてるって言われた」

という話は覚えているだけでも2回ある。

覚えているだけでも、やから多分もっとある。


塾の先生を怒らせたこともある

先輩とかも。笑


そのことに対して母から
怒られることも責められることもなかったけど、


母と喧嘩した時は
同じように、怒らせてたなあ


悪気ない私の言葉も
人を傷つけてしまうのか

無意識に人を苛立たせてしまっているのか

と私は私を責めた。

多分小学校高学年くらいだったかなと思う


私は私のこの部分が
すごく嫌いになった。

きつい言葉、
偉そう
自分が正しいみたいな話し方
理屈っぽい?
上から目線?


私はそんな感じなんだな、
自分で自分のことを
そんな風に思うようになった



それからは、できるだけ
引っ込んでいた。
言葉を選んでいた。
思ったことは、丸めるようにした

だからか、
人と喧嘩することもなかったし
言い合うこともなく過ごしてきた。


社会人の時は、
受け入れてくれるありがたい上司がいたから
言いたいことは言ってたが(笑)


けど、最近また
ド・正論をかました事件が発生した
今の会社で(笑)


やってしまったと思った。

だからこんな自分は嫌なんだと思った。
こんなことしてるから、好かれないんだ

刺しているのは自分の癖に
刺したことで傷つくのも、自分だった。

だから言わないほうがいいのに!
黙ってりゃ良いひとでいられるのに!

そんな自分の声もどこからか聞こえてきた

でも私は意思を持って、
ド・正論を伝えることを選んでいたわけだ。


じゃ、これってなにかというと
今回は気づいた、私の強めの軸だったからだ。

「人の気持ちを考えろ」
「人への配慮を忘れるな」


私が子供のころ、
人との関わりの中でできた、
私の軸。

それを強く、相手に伝えたかった
だから、ド・正論とともに言うことを選んだ


なんていうか、
これが仕事軸なのかなと思う

「人の気持ちを考えろ」
「人への配慮を忘れるな」

私が欠けていたことでもあり、
私が大事にしていることでもある。

今回それを伝えたことは、
もし、相手を傷つける結果になっていたとしても
言ったことに後悔はない、と言える。


自分軸はあくまでも、
自分軸、なのかもしれない。

けど、この自分軸を持って
私は私らしく在れると思う。


“私は私でよかったんだ”は
嫌な自分を癒せる、最大の自己理解だと思う!!



ねぇ今日のブログ大丈夫?
わかりにくいねぇ



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