これまでの想いが軽やかに巣立っていった
前回の記事に書いた、
「見守る」ことに使ってきたエネルギー、想いを胸に溜め込んで、大好きな人たちのバランスを保とうとしながら生きてきたこと。それは、わたしなりの表現だった。大好きなものを大好きだと言うための手段だった。行動も、言葉も、自分なりに精一杯やってきたつもりだった。
それでも、ままならないこと、抱えきれないもの、もっとこうすればよかったと後悔したこと、もう今はどうにもならないこと、相手に伝わらずこぼれ落ちてしまう想い、そういったものを行き先は「見守る」ということだったかもしれない。それがわたしの大好きな人たちへの愛情の表現だった。そんな祈りのような気持ちはいつも心にあった。
でも、どこかでずっとわたしにはもっと違う表現があるはず、と感じていたと思う。心底、自分の情熱を傾けられることで、自分を、人への愛を表現したい、と。
本当の自分と向き合ったのは、向き合わざるを得なくなったのは、20代後半になってからだと思う。体も調子が良くない。かろうじて会社には行っていたが、震災の直前、東北の沿岸部への出張中に倒れたことをきっかけに、それまでの生き方を変える必要があると自分で感じた。30代がすぐそこまで来ていた。
そして、震災の翌年、ハワイに行くことを決意し、父が他界。ハワイに行ってその後会社を辞め、自分ができることを、ずっと、探して探して、たくさんの回り道を繰り返して、わたしが辿り着いたもの、見つけたのは、ハワイを通じた「フラ」だった。
やっと「自分の表現を見つけた」と思った。そして夢中で学んで、実践して、知識だけではなく、体感することを大切にしてきた。それでも、どこかで、「本当にこれでいいのだろうか?」という想いも付き纏っていたし、葛藤もたくさんあった。
それは、生まれ育った環境を含めて、歩んできた道のりの中で、体験したことのない世界だったから。何の後ろ盾も保証もなく、一人で飛び込んでしまったのだ。逆に言えば、それが欲しかったのだろうし、親のおかげで当たり前だったし、安心だったのだろう。守られて生きてきたのだ。
フラの世界も、それはそれは奥深く、試される場面もたくさんある。だから、確信するのが怖かったから、何度も何度も、自問自答し、試し試されしていたような気がする。きっとフラに限らず、どんな世界でも、新しく飛び込むときには、同じような想いをすることもあるのではないだろうか。
去年、家族と自分の体調不良からの、「大変革」の一年を過ごし、何もできない状態に陥るまで、わたしは最大限のチャレンジし続けてきた。楽しくやっている反面、それはどこか「本当に自分の道なのかどうか」と自問自答し、試すような日々でもあったかもしれない。
フラのレッスンに通えないかもしれない、とうとう神様からストップがかかり、辞めるときが来たのかもしれないと思ったときには、大号泣したが、その後はそれどころではない状態になってしまった。そして、チャントも踊りも全くできない、考えられなくなってしまった。
でも、嵐が去って、段々と回復していったときに戻ったときに、まだ、先は見えなかったけれど、気がついたらやっぱりフラがしたいと思っている自分がいた。今までやってきたことが、ちゃんと自分の体にも記憶にも残っていたことが嬉しかった。これまでのチャレンジが、自分を助けてくれている、生きる希望になってくれていると感じた。
復帰をするのに、タイミングとかどうやったら前に進めるのか、こちらも流れに任せつつも、不安もあった。
でも、自分の気持ちに正直に行動した。自分の凝り固まった、枠から自分を解き放つように、本当にそうしたいと思ったことを、したいタイミングでしてみた。
そうしたら、とても心地よく、自分の望んでいたような流れにすっと乗ることができて、GOサインが出たように、背中を押してもらえるような出来事が次々と起こり始めた。
そして、フラシスターから、素晴らしいレイをプレゼントされて、心が溶けた。Alohaを全身で受け取った。そのレイを身につけて踊る。これ以上の幸せはないと思うくらい、幸せを感じた。
家族や大好きな人たちには、わたしがどんな気持ちか、伝わっていないかもしれない。わたしは、こういう幸せを大好きな人たちと一緒に味わいたかったんだ、味わってもらいたかったんだと思った。それに執着していたのかもしれない。自分だけ幸せを感じたらいけない、と思っていたのかもしれない。一人残らず、連れて行かなければ、と。
でも、きっとそうではない。そうではなかったんだ。
そうやって、わたしは自分を守ってきたのかもしれない。
もう、大丈夫。わたしは大丈夫。みんなも大丈夫。
それをしっかりと自分の中で感じたら、これまで握りしてめていた想いから、手をふっと放せたような気がした。
そして、大切に育んできた想いたちは、軽やかに巣立っていた。
ayumi