幸徳秋水『死刑の前』 死生
先日、ユーゴー「死刑囚最後の日」を読んで思い出した人がある。
幸徳秋水である。
幸徳秋水は、明治時代に大逆事件で処刑された。天皇家に危害を加えた、もしくは加えようとした罪を大逆罪という。幸徳秋水の場合、明治天皇の暗殺を企てたとして大逆罪に問われたものである。だが実際には、それはまともな計画にさえなっておらず、のみならず幸徳秋水はその暗殺を止めようとしたとさえ言われている。所謂、冤罪である。大逆罪の刑罰は死刑のみであり、有罪が確定すれば死刑しかあり得ない。裁判は非公開かつ一審のみであり、逮捕から一年も経たずに有罪が確定し、有罪確定からわずか七日で処刑されている。大逆罪とは形ばかりであり、おそらくは政治的に抹殺されたのではないか。Wikipediaでは、山縣有朋が馬蹄銀事件で秋水らを疎ましく思っていたとある。
石川逸子氏は『オサヒト覚え書き』で次のように書いておられる。
『死刑の前』は、このような書き出しから始まる。
おそらくは、この大逆事件で死刑が確定してから刑が執行されるまでの七日間に書かれたものではないか。そのようなときに秋水が書き残したものが、よくぞ世にでたものと感嘆もし、同時に不思議にも思っていた。政府にとっては秋水とともに、秋水の思考も抹殺したかったのではあるまいか。残したということはまだしも、何故世に出たのだろうと怪訝に思っていたが、太平洋戦争終戦時に多くの書類を焼いた時、その中に幸徳秋水の名を見つけ「もしや売れるかもしれん」と思い持ち帰った者がいたというような話をどこかで読んだ。出典も忘れたので正誤のほどはわからないが、ネコババするということもよかったりするものだと妙に感心したりもした。そのお陰で、今私は秋水の言葉を読めるのだから。
処刑を待つ七日間に記されたものであるのだから、どれほどに悲観的なものだろうかと思ったが、全く違った。死を達観したような言葉が並ぶ。死は等しく全ての人に訪れると。天寿を全うし老衰死する人はほとんどいまいと。病死事故死自殺死などと刑死とはなんら違いはないと。あるいは刑死というものが不名誉であろうか。否、歴史を翻ってみて死刑に処せられた無辜の市民は無数にあると。
かねてより政府から睨まれていた秋水であったから、あるいはこういうこともあるかもしれぬと考えていたかもしれない。その母でさえ「かかる成り行きについては、かねて覚悟がないでもないからおどろかない。わたくしのことは心配するな」と言ったという。その母は、秋水と面会後に郷里に帰り、秋水の処刑前に死没している。
秋水は言う。
全くもって同意するのだが、私が同じ立場に置かれた時にもなお同じ態度でいられるのかと問えば、甚だ心許ない。
このような人が何故殺されねばならなかったのか。
何度も思う。事件の関係者が書き残したものが出てきて、不意にその経緯が明らかにされないものだろうかと夢想したりもするが、かなえられることはもうないのかもしれない。秋水は知っていたろうか。知って逝ったのだろうか。
文明は幾ばくかは進歩したかもしれない。公衆衛生の知識もついたかもしれない。公共の設備も固められてきたかもしれない。だが、個人の衣食住はどうだろう。精神的に安楽だろうか。憂悲が心身をそこなうことはないだろうか。
未だ貧困も差別も紛争もなくせない。
今の世界を秋水が見たら何と思うだろう。
人類の歴史にはこういう人の死が、いくつも積み重ねられてきた。そしておそらくは今もってなくなってはいない。人類は学んでいるだろうか。これからも進歩していくだろうか。そう願っていたし信じてもいたが、この数年は疑問を覚えることが少なくない。
『死刑の前』は次の五章で成り立っているようであるが、青空文庫で読めるのは『第一章 死生』のみである。残りの文章を読んでみたい。