アルコール依存症という前に
前の記事にも書いたが、アルコール問題以前に心に闇があった。
夫は何かと依存するくせがある。食べ物や服、人などとにかくほどほどがなくそればかりを手に入れたがる。そして突然飽きる。
ただ人に関しては違う。束縛をするし、一人は嫌がる。
そして厄介な性格だ。学歴のことを言われると憤慨する。自分の好きなことは相談なしに勝手にするが、仕事や手続き、書類関係などはわからないからと人に任せる。押し付ける。わからないと思われたくないからかもしれない。そんなことでは成長しないし、結局仕事に繋がっていくと何度も言ってきたが無駄だった。そのくせプライドが高く、バカにされたと思いがちで人との関係に悩むことも多かった。
最初はそうでもなかったのが、その度合いがだんだんとひどくなってきた。夫は身内の中でもしっかりタイプではなく、いつまでもヤンチャをするし、いつまでも怒られるような立場だった。それでも開き直ったような口ぶりで言い訳したりおもしろく返してみんなを笑わせていた。みんなもそこまで何かいいたいわけでもなく、楽しい会話という感じだった。子供にも「お父さんちゃんとしてよ〜!」などと言われてはみんなで笑い…というような感じだったのが、家に帰ると「みんなでバカにしやがって」と言い、怒ったり怒鳴ったりすることが増えていった。それも正月などみんなが集まるときだけだったが、仕事で嫌なことがあると、そういえばみんな俺のことバカにしとるよな!と連鎖的に思い出すようになった。
そしてついには、自分が生きづらさを感じているのは親のせいだというところに行き着いた。というのも、夫の両親は離婚しており、その離婚直前の家の中は壮絶だったとのこと。父親が帰ってくると大げんかが始まり、母親が食卓のものを投げつけたり怒鳴ったりするので、夜ご飯を落ち着いて食べた記憶がないという。それが毎日続き、長女が弟妹を連れて外に逃げていたらしい。また母親の体調も悪く、友達を連れてきても睨まれていたと。そして離婚になった。この辺りでは祭り文化があり、夫も小さい頃は父親と一緒に参加し、中心的な役割をしていたせいか本当に祭りが好きだったそう。だけど離婚をしてから同じ町内の違う地区にある母親の実家に引っ越した。
夫は小学5年生で、好きな祭りを諦めなくてはならなかったし、その地域の人と会うのも恥ずかしくなったそうだ。
それから中学にあがって非行に走ってはいたが、野球だけは1年生のときからレギュラーで自信もあったそう。警察に何度もお世話になったりもしたが、高校のスポーツ推薦が来たらしい。しかし母親がすべて蹴ってしまったと。それから寮のある公立に通うが、1年生の間に退学になってしまった。夫は定時制に行くと言ったが、お金の問題もあるのと素行の悪さを考えるとダメだということで親戚が働く建設会社に行かされることになった。
そこでは16歳なのに毎晩酒を飲まされ、楽しくもない付き合いをさせられ、薬物もさせられたことがあるという。ベロベロになって帰ってきてそのまま多少暴れて眠りにつく。もう一生逃げ出せないと感じていた。友人は大学や専門学校に行ったりしているのに自分だけ厳しい環境にいることに限界を感じていた。私が出会ったのはその頃だった。飲むと止まらなく激しく酔い暴言を吐かれた。顔こそ殴られたことはないが、服を引っ張ったり、蹴られたりということがあった。そこで仕事をやめたら?と言ったところやめてもいいんだと開き直り、すぐにやめることができた。本当にうれしそうだった。
その後も母親の弟の建設会社に行ったが、同い年の従兄弟と比べられたり、こいつ身内で一番アホやからと紹介されたりして、結局は夫にとっては環境は変わらない状態だった。ある時は、叔父にお前のお父さんには苦労させられたなどと言われ掴み合いの喧嘩になったそうだ。そのときも母親には飲みに行ったあんたが悪い。嫌なら行かなければいい!と言われる始末。
お前やったらどうする?俺のような人生を子供が歩んだとしたら?と聞かれたときに闇が見えた。お母さんに全力で向き合ってほしかったんだろう。
推薦を蹴ったときも、退学になったときも、怒るだけで放置。話をして、しっかり納得させることはできなかったのか。建設会社での生活も見るからに荒れているなら、16歳ならやり直せるからとなぜ言ってくれなかったのか?その環境しんどくないか?と言えなかったのか。叔父さんが父親のことを悪く言って喧嘩したなら、「子供にそんなこと言うな!」と怒鳴り込んで行き、そんな環境ならやめさせるで!とは言えなかったのか。
ずっとそんな思いを募らせていたことが爆発したのだと思う。自分の子供が大学に受かったときは、お前の子やのにすごいな!と関西特有の変な発言も身内から散々言われ、悔しい思いをしていた。