見出し画像

子育て | 02.行けるようになるには?

今の私と当時の私

当時のことについて、覚えている出来事や感じた事が断片的で、日記やそれこそnoteに書き留めていたら良かったなあ、と今になって思うのですが、子どもと向き合うこと、現状をどうしていくかに必死で、アウトプットできる状況ではなかったのかなあとも思います。実際には前後したり今と捉え方が異なるかもしれないですが、それはそれで良しとしようかな。

休ませる

まずは本人の希望通りに休ませました。「小学生 低学年 学校 行きたくない」で検索すると、どのサイトにも「休ませる」と書いてあったからです。「無理に行かせると、その時は良いけど根本的な解決にならない」というのにも納得してのことでした。悩んだのは「休ませた」その後からでした。どんなに検索をしても、不登校の子についての本を読んでも、“目の前の我が子と全く同じ性格で、同じ家庭環境、同じ学校環境、不登校になったきっかけ”のお子さんはいません。ある部分が一緒でも、ある部分は違う。そうなると同じ対応をしても上手くいかない可能性が高い。私は“答え”を探していました。それが見つかれば、あっという間に息子が学校に行けるような。“答え”はどんなに探しても見つからなかったです。だから、目の前の我が子と向き合いながらその時に最適だと思うことを1つ1つ試していくしかありませんでした。

頼れない自分との闘い

不安で悩む私に母はあっけらかんと言いました。
「3年経ったら行けるようになるよ!」
3年…?この不安が3年も続くって…?嘘やろ。
しかも何、この人、私の今抱えてる気持ちとか分からんと…?
私の両親は小学校の先生です。3年経って本当に行けるようになっているので流石だな、と今は思えますが、この言葉を言われた時は、心が母をシャットアウトしました。そして、これから接することになる先生の中にも悪気なくこんな言葉を親にかけてくる人がいました。その度に私は苦しむのですが、今は誰も悪くないんだと分かっています。
「シングルマザーだから子育てできてないって思われたくない」「保育士のくせに子育てできてないって思われたくない」根が真面目な性格や育ってきた環境もあって、「ちゃんと(自分1人で)子育てしなきゃ」と思っていました。息子にはたくさんの愛情をもって接してきたとは思いますが、窮屈だったかもしれません。離婚して実家に帰ってきていたのに、変な意地を張って親には頼りたくないと思っていました。子どもの不登校をきっかけに、子育てって1人じゃできないんだ、頼っていいんだ、むしろ頼らないと子どものためには良くないんだと気付くことができました。そう気付いて子どもの手を離せるようになるまで、子どもと向き合って、自分と向き合って、本っっっ当に苦しかったです。今同じような状況にあって、もし私のnoteを見てくれている人がいたら、母のように「いつか行けるようになるよ!」なんて絶対言わないです。同じように苦しんでいる人がいるし、苦しんでいる気持ちが分かる人がどこかにちゃんといるよって知ってほしい。「苦しいよー!」「助けてー!」って言ってほしい。息子が私に「死にたい」と伝えてくれたように。
最初は、息子が学校に行けるようになるには?を考えていたんですが、途中からは、生きていけるようになるには?に気持ちが変化していきました。書きたいことが多くて全然進みませんが、ゆっくり、ちゃんと書いていきたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?