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子育て | 03.リハビリ

それから

自宅で過ごす間、毎日担任の先生が連絡をしてくれました。自宅に来られることもありましたが、頻繁だと子どもが「行かないといけない」と負担に感じるかもしれないためお断りする日も。「行かない」ことが「悪いこと」だと感じてほしくなかったため、日中買い物に出るときに誘ったり、気晴らしに近くの施設に誘ったりしていましたが、本人はあまり乗り気じゃなく来たとしてもコソコソ隠れるようにしていました。本当は学校に行かなければいけないのにという気持ちからか、ただ単に暇だったからか、夢の世界に逃避するように午前中は寝てしまうことが多かったです。
また、うちの子の場合、学校へ行かない間にテレビもゲームもOKとなると余計に行きたくなくなるだろうなあと感じたので、1日何をして過ごすかを決めて勉強や興味のあることをする、給食に近い食事をとる、など、今考えると私自身すごく気を遣って過ごしていました。

母子登校

母子登校なるものがあると知って、先生に提案してみたこともありました。本人が教室には行けないと言うので、教室の隣の空き教室に一緒にいると、教室からは大きな怒鳴り声が。1人っ子であまり叱ることがないので、他の子に対する叱責でも緊張していたのかなあと想像して、学校へはもう選択的不登校でも良いのかなと、この時から考えるようになっていきました。定期的に実施される学校側と私との面談の中でも、「味覚が過敏なので給食のメニューによっては抵抗があり、完食指導も負担がある。」とお話しても「お家で何を食べさせていますか?いろんな食材を使って慣れさせてください。」と返ってくる。まず信頼できる大人を学校で見つけて、そこから段々と子どもたちと触れ合っていくことが子どもの特性上良いのではないかと思っているのに、「お母さんがなんでもしてあげるから、子ども同士の関係が育たないんですよ。」と言われる。子どものことを考えて一緒にやっていく、というよりもなんだかお互いにやってほしいことの押し付け合いになっていた気がします。

印刷室登校

コロナ禍で、保健室は体調の悪い子が隔離される場所になっており、保健室登校が出来ない代わりに職員室と校長室の間にある「印刷室」へ登校することになりました。気持ちを整えるために少し早めに準備をしたり、早めに家を出てドライブしたり、試行錯誤しながらの毎日で、"今日は行けるかな?大丈夫かな?"と綱渡りをしているような気持ちでした。本人の様子を見ながら少しづつ時間を伸ばし、リハビリのような1年間だったと思います。

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