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榎園歩希の教育研究短期ワークショップ「湧く湧くナイゾウ」 上

双子座満月🌕。昨夜は月虹がかかっていた。
今私は大分県杵築市山香町の「カタスミカイカイおなかわくわく遊学会」に参加している。木村さん(自閉症施設「めぶき園」美術講師)から声をかけていただき、今回短期的ワークショップをすることに。アトリエのことではないのだけれども、今回は「教育」がテーマのワークショップなので、ここでもお伝えしようと思う。

木村さんとは2年前にMOE展(「めぶき園美術展」大分県立美術館)で出会った。木村さんの「人間として生きるということと創造が、どう繋がるといいのか」。と問い続けてきた内容に私がとても関心を持ち、以来色々お話を聞かせてもらったり、意見交換などをさせていただいている。

これまで私は教育というものに殆ど関心を持っていなかった。しかし現在私は子供から若者総勢25人ほどと関わっている。彼らを見ていると、そこには成長における段階と傾向と流れのようなものがあり、このまま私の主体的な見方だけだと偏った関わり方になってしまうかもなあと、ぼんやり考えていた。なので木村さんの考察はとても参考になる。

その木村さんから今回「教育」をテーマにした芸術祭をしたいと声をかけてもらった時に、嬉しかったと同時に気が重かった。「教育」とはなんぞやということを、美術の中で問いかけることはとても難しいし、正直言って教育分野には関わりたくなかった。けれども実際に成長過程にある子供らと関わる上では、避けては通れないことではある。「あー、ついに向かい合う流れが来たか・・・」という感じ。
というわけで、私も腹を決めて取り組むことにした。

今回はこども園と、フリースクールに2ヶ月弱通い、毎週3時間くらいの継続ワークショップをした。アトリエでは私が居る場に、子供らがやってくる。彼らの意思で来る。けれども今回は子供らの場所に、私が入っていく。立場が真逆だ。 特にフリースクールには、他者との関わりにナイーブな感情を持っている子供もいるだろう。私も子供時代は常に大人に対する警戒心があった。「大人は私のことを、何かしらジャッシする」という怯えがあった。アトリエでは素でいるため、私の人間味が強い。それをそのまま子供らの居場所に突然持ち込むことは、ある意味横暴だ。

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