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子供の本物の経済体験(※特別無料配信)

猫万卍展が無事終了。連日多くの人々が来てくれた。昨年アトリエでの点転天展のぶつぶつ交換は事前に子供らが交換するものを指定していたが、今回は「その場で交渉して、その場で決める」というとてもリスキーかつ緊張感あるぶつぶつ交換にしてみた。ちゃんと子供が主導権を握れるか、自分が本当に欲しいものを手に入れられるか、私としてはそこが一番の注目ポイントだった。

猫万卍NEKO MAN MAN展ステイトメント

このアトリエは創造する場所。創造する時は孤独に耐えなければならないし、自分の力だけで超えていかなければならない。つまり、そこに共有や循環や交換はない。ステイトメントに書いてあるように、経済の本質とは<共有・循環・バランス>。創造と経済は全く別次元であるからこそ、アトリエはその二つをコンセプトに掲げている。

創造は最も神秘に近く、経済は最も俗世に近い。子供には全次元的に生きてほしい。精神だけでも世俗だけでも、一方ではだめなのだ。私は未来では貨幣はなくなり、代わりに価値観によって流動するトークンのようなもので小さなコミュニティを形成し、互いのコミュニティが交易していくようになると思っている。それはかつての村社会に近いが、全く違うのはその主軸が「血族」ではなく「価値観」で結ばれる集合体であるということだ。

今必要なのはこれまでとは全く違う経済感性と、創造性。どのような仕事やコミュニティや人間関係を選ぼうと、この二つはこれからは省けない。AIが主な知能となっていく時代、これからはクリエイティビティとアイデアと人間力で生き抜くしか無くなっていくし、共有と所有のバランスを取らないと生活が成り立たない。

今は色々な人々と話すと、ある一定数の割合が「共感と共有と共存」を求めているような気がする。それは前世代が作り上げてきた「所有こそが豊かさだ」という概念を壊すことだ。こうして我々も壊すのだから、我々の価値観もいづれ子供らの世代に壊される。それは素晴らしいことだと思う。我々はいつかそれを目の当たりにして、「ああ、新しい時代が来たのだ」と実感するんだろう。

ぶつぶつ交換は、とても難しい。互いの価値観が全く同じことなどないし、自分の心を注視していなければ途端に流されてしまうからだ。子供らがどういう体験を得るのか私も楽しみな中、この展覧会は始まった。

ぶつぶつ交換/絵(そよ)⇄菓子缶。以前から、お菓子より素材を入れる缶が欲しかったらしい
ぶつぶつ交換/絵(たまき)⇄金色のもの(金色の絵と金色の折り紙、マスキング、インク、肉球ケーキ)
ぶつぶつ交換/絵(こはる)⇄メディウム各種。子供のチラシ配りで別の日にわざわざ来てくれた美大生。彼女はメディウムのヘビーユーザーなので使ったことのないメディウムを、とても喜んでいた。さすが美大生。
ぶつぶつ交換/木の猫(たつる)⇄タイルなどの素材。彼は次に作るのに役立つものが好き。
ぶつぶつ交換/トートバック(りさ)⇄自分が作った作品の一部。これに彼女が描いてコラボ作品に仕上げるのだそうだ。
ぶつぶつ交換/猫神様(まなと)⇄陶芸家の自分の作品。
ぶつぶつ交換/木の猫(たつる)⇄不思議な指輪と木のブレスレット。
ぶつぶつ交換/トートバック(りさ)⇄クラゲのガラスオブジェ。
そして、何と! ↓
舞台衣装作家でもあるまりさんが、トートバックをドレスに仕上げて持ってきてくれた。もちろん本人に了解を取って作った。まりさんはこの展示の趣旨を本当に理解してくれている。そしてそれをご本人の豊かさに活かしている。これが本物の、大人だ。
ぶつぶつ交換/絵(けんけん)⇄かっこいい木材。さあ、これを彼はどうするか。
ぶつぶつ交換/木の猫(たつる)⇄珍しい色が採れる貝(染色家)。
ぶつぶつ交換/木の猫(たつる)⇄陶芸パーツ(お父さんが陶芸家)。
ぶつぶつ交換/絵(KAIMON)⇄鉄が溶けたオブジェ、木の実で作られた民族楽器。

本当に多くの人が来てくれたため対応が間に合わず、記録できなかったぶつぶつ交換もある。子供らの学びは、知識と思考と感動が組み合わさってはじめて体験になる。大人は子供の体験を舐めていることが多い。単にその場を味わうだけでは、体験にはならないのだ。感動を生み出すには、大人の仕掛けだけではダメで、そこには彼らの主体性が最も必要だと思う。今回の成功の大きな理由は、子供らが「これは自分達の展示だ」という認識によるプライドと責任感があったからだ。

ちなみに、今回の経済におけるぶつぶつ交換の話を子供らにした時、私が彼らに伝えたのは「絶対に妥協しないこと。自分が生み出したものの価値は、まず自分が認めなければならない。相手に申し訳ないなというしょうもない気遣いなど、一切しないこと。本当に欲しいものだけを、手に入れるのだ。」

ということで、当然ぶつぶつ交換不成立のケースもあった。お菓子、使わなくなったおもちゃ、不用な雑貨など。相手を子供だと思った人の交渉は、殆ど不成立だった。嬉しかったのは、そういうケースはあまりなく、来てくれる大人が「交換してくれるかしら」という謙虚さを持っていてくれたことだ。そしてそういう方ほど、私でも欲しいものを持って来てくれた。

そして私はたつるくんに木の猫と自分が作った炭猫(石粘土で作って炭火で焼き、蜜蝋でコーティングした猫のオブジェ)の交換を交渉した。

私「私の炭猫とあなたの木の猫を交換してくれませんか?」
たつる「うーん・・・妥協しちゃだめなんだよね?」
私「妥協は駄目」
たつる「じゃあ、交換しない!」
私「だめか・・・」
たつる「あゆきさんの絵なら僕ほしいから、いいよ」
私「絵は大事だから、交換しません」
たつる「ぶつぶつ交換不成立だね」
私「これが交渉決裂ってやつだね」
そして、まあまあと互いを慰め肩を組み合う私と彼。
快い交渉不成立。
互いの判断を納得し、許容する。
だから争いなど起きない。
これが世界平和への近道だ。

子供らは当然私にも妥協しなかった。私が持ちかけた交渉は、全て不成立だった。容赦ないにも程があるだろ!と思ったが、前述のように偉そうに妥協するなと能書き垂れてしまったため、黙って飲み込むしかない。痛感したのは、彼らは私の絵にはほんのり一目置いているが、立体については全く認めていないということだ。悔しい。

ちなみに、私はお金反対主義ではない。お金には別の平等さと快適さがあるからだ。お金には感謝しているし、多く欲しい。多くあればこれは世の中に必要だと思うところに流せるし。自分だけなら今あるもので十分だが、自分のことしか考えないというのは面白くない。私は猫を腹に乗せてポテチ食べながら漫画を読むのが至福なので、ポテチと漫画と猫養えるくらいあればいい。 いや、そんなことはどうでもいい。お金で買っていただいた方々への感謝の気持ちを伝えようとしていたのに、なぜ私の怠け者丸出しの話になるのだ。

以下は展覧会でお金で購入してくださった方々。(知人のみを掲載しています。)

大分市美術館館長の宇都宮さん。三浦陽南子作品。
TENNEKO Tシャツ。オーガニックマーケットのおしゃれなコーヒー屋さん。
TENNEKO Tシャツこの日二十歳誕生日!
TENNEKO Tシャツ、たのしいプロジェクトゆかりさん
TENNEKO Tシャツ。「この顔がたまらないわ」
TENNEKO Tシャツ。「今日はTシャツに合わせたコーディネートにしてみました」染色家
三浦陽南子(左)とKAIMON(右)作品。リモージュ農園濱原さん。
りさちゃんトートバックと榎園鍋つかみ。
りさちゃんトートバック
TENNEKO Tシャツ。作者不在でなぜか父親のTOAST coffee roaster藤井さんと写真。
なっちゃん作品。「一生のうちに、こんな絵が描けるといいんですけどね・・・」
→アチャ←コTシャツ「なんか、私こういうの珍しいんだけど!」
美術家宮本博之さん、ギャップがいい。かわいいクリップなっちゃん作。
ホットドックのような飼いインコと仲良しのリリーさん。そよ作鳥のオブジェ。
順子さん「なんか、これ惹かれるのよねー」たまちゃん作。絵の上に現れた影を組み込んだ絵。
たまちゃん作「せまい」。確かに狭い感じする。
美術家竹下洋子さんTENNEKOTシャツ。選ぶものも独特。
言葉語りの安岡かずみさん、TENNEKOTシャツ。
gallery_connect.plusなおみさん。まなと作「目とひげとしっぽがバラバラな猫」
声楽家の生野聡さん。初めてTシャツでリサイタルに出たとのこと。
着こなし力もすごい

子供らの鮮やかな猫作品。

なつめ作
TENNEKO作
→アチャ←コ作
こはる作
あやか作
りさ作
たつる作
あゆき作
そよ作
たまき作
けんのすけ作
なつめ作
にこ作
うた作
れんげ作
まなと作

本当に沢山の方がこの展覧会に来て、子供らの作品を持ち帰ってくださった。私が今回実感したのは、やはり私だけでは子供らの本当の体験を作り出せないということだ。今回は8galleryの古庄さんがアトリエのコンセプトにとことん寄り添い、子供らの体験を共に作ってくれた。8galleryの「実験的空間」というコンセプトにも合致したとはいえ、ギャラリーにとっては利益とはなり得ない今回の展覧会。貸しギャラリーではなく企画ギャラリーというのが、本当にありがたかったし嬉しかった。

塩塚隆生アトリエの塩塚さん(右)と8galleryの古庄さん(左)
猫万卍展のテーマのきっかけ、看板猫おくらさん。毛深い巨大な温厚人好きな雌猫。

このことの大きな意味をもちろん子供らには、何度も説明してある。お金を払えば貸してくれるという場所ではないこと。古庄さんがあなた方を子供ではなく作家として信頼して、企画を立ててくれたこと。私と古庄さんは上手く設営するところまでしか関われない、あなた方の力で作りあげる、あなた方の展覧会であるということ。

私「この展覧会は話が来た時にあなたたちに説明して、あなたたちがやると決めた展覧会でしょ。」
子供ら「だって、やる気出ない時ってどうしようもないもん」
子供ら「やる気出ないのはどうしたらいいの?」
私「自然にやる気なんて、待ってても一生出ない。やるか、やらないかでしかない。」
子供ら「やらなかったら、どうなるの?」
私「どうもないよ。ああ、やはり子供なんだなと思われて、二度とこういう展覧会の話は来ないという、それだけのこと。」
子供ら「それは嫌だ!」
子供ら「あゆきさんは、困る?」
私「別に困らない。がっかりされるのはあなたたちで、私ではないから。」
子供ら「誰が困るの?」
私「ギャラリーは困るだろうね、ギャラリーとしての質に関わるから。」
子供ら「そうなんだ・・・」
子供ら「だって、みんながいると集中できないんだもん」
私「そんなの知らね。自分の集中くらい自分でなんとかしなさいよ。あなたたちの集中力の無さになど、付き合ってられない。それなら、私は自分の制作を優先させていただきます。」
子供ら「・・・わかりましたあー」

私はこれまで子供らにプレッシャーを与えたりしなかった。なぜならここは共有アトリエであり、私と彼らは主従関係ではないからだ。勝手にやればいいし、それぞれの制作に向かう心意気など私の知ったことではない。ただ今回は、「できなかった」では済まないという話は当初から言っていた。”自分で決めたことだ”と彼らを追い詰める口実ができたため、まあとことん追い詰めてみたが、それは私の実験でもあった。子供らはどこまで耐えられて、誰がどのタイミングで耐えられなくなるのか。

彼らは、常に不安定だった。そりゃ遊ぶ方が楽でいいに決まっているし、こんなに根を詰めてやることは初めてだし、何より8galleryの企画という「他者から認められた」わけだから、がっかりされたくはない。彼らの自尊心と逃げ出したいというプレッシャーとの天秤はぐらぐらしていて、私も彼らをぶっ壊したいわけではないので、慎重に追い詰めながら放置していた。

予想外にもプレッシャーに完全に負けた子供はいなかった。
そして最終的に彼らは「お金で買ってもらうより、ぶつぶつ交換の方が楽しいし、面白いし、思いもよらなかったものが手に入るね!」と話して来て、子供らの本質を捉える力を再確認させられた。

この一言で、私はこの展覧会は大成功だと思った。

古庄さんが子供らとも対等に接してくたし、看板猫のおくらさんは展覧会の招き猫となった。この機会は彼らにとって、自分と大人は対等なのだという示唆になっただろう。そして、経済活動は面白いし楽しいという経験になったかもしれない。自分が生み出したものを、他者が喜び楽しんでくれる。それはきっと自信になる。

保護者たちも展覧会を大切に考えて、とても協力してくれた。私の無理に寄り添い、子供らを静かに見守りながら応援してくれた。普段から私は子供らとの関係性を最優先してしまい、保護者への配慮に欠けるところが多々ある。「子供にとって無理をさせているのでは」とか「子供が自分の作品で稼ぐってどうなんだろう」という保護者の不安もきっとあっただろうが、子供らの可能性を信じ、私のやり方に沿ってくれた。

今回の展覧会で、もちろん最も頑張ってやり遂げたのは、子供らだ。日々制作をして、休みの日にも来て、合宿でも制作して、自分の気分の波と対峙し、私に甘えを許されず追い詰められて、チラシもみんなで自主的に配って、相手の冷たい対応にちょっと傷ついて、でも配って、展覧会で自分の作品をかけて交渉した。それをやり遂げた彼らに、拍手を送りたい。

展覧会が終わった翌週は、約束通り全員で遊びまくる。(サッカーと人狼ゲームとクレープ作り)

遊ぶ子供ら。私も本気でサッカー、3点をゴールに叩き込んでやった。
クレープを焼く
桃缶とバナナを切る
クレープ争奪戦
クレープ大人気

昨日アトリエ日に、大掃除した後に精算をした。自分で売れたものの計算(足し算と掛け算)をして、ギャラリーマージンの計算(引き算と割り算)をし、互いに間違いがないかをチェックし合い、最終的に私にオッケーをもらって、古庄さんが用意してくれた現金袋から自分の取り分を取って、作った封筒に明細と入れる。

まずは汚れまくったアトリエを大掃除。一旦リセット。
私が売上を読み上げる。「売上聞き逃しても、二度と言わないので。書きそびれた売り上げは、私がネコババします。自分の売上聞き逃すなんて、迂闊すぎるでしょ」みんな必死。
売上の計算
計算ミスがないか、互いにチェックし合う

自分の売上を手にした彼らの顔は、忘れられない。

最後に自分が気持ち良い程度の寄付をするよう言ったら(アトリエの決め事)、みんなそれを忘れていなかった。素晴らしい。

私も怠け者のくせに慣れない多忙を極めたため、途中「世の中クソ」と独り言で悪態ついたり、また持ち直したりした展覧会だったが、大切そうに売上を持った彼らを見送ると、目の前には綺麗な夕焼けが広がっていた。

最後に、展覧会に来てくれた皆さま、本当にありがとうございました。今回の子供らの本物の体験を作ってくれたのは、皆さんがいてくれたからです。
興味関心ある方は、ぜひこのメルマガを定期購読してください。よろしくお願いいたします。

今後とも、どうぞホーノキアトリエの活動をよろしくお願いいたします!

ホーノキアトリエ 代表 榎園歩希



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