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noteフェスDay3振り返り -人間の輪郭、明らかにされたい?-
未だにnoteフェスのことを考えています。
知性はどこにあればいいのか
動画3:25あたり
モデレーターの加藤さんから「数学的なものの先に知性がある、というのがすごく不思議で」という発言がありますが、じゃあ知性がどこにあったら自然に感じられるんでしょうか?
知性というほわっとした概念ですが、たとえば論理的思考力は知性の一部ですが、その名の通り論理的で、数学的なものの延長にあっても不思議ではありません。
でも、多くの場合には「人間の知性が数式で表現できる」というのは、納得しがたい感覚だと思います。
じゃあ何ならしっくりくるんでしょうか。
知性というものが、どこから生まれていたら、私たちは納得できるんでしょうか。
たぶん、納得はできないんじゃないかと思います。
私たちが信奉する知性というものは、一昔前の神みたいなものではないでしょうか。
それはどこかに実在していて、私たちに影響を及ぼしている、と信じていたい。
そういう意味で、人間の輪郭は曖昧だからこそ良い、というものかもしれません。
人間の輪郭を明らかにしたいのか
たとえ話として、人間の脳の解明が進んで、『好き』という感情が定量化できるようになったとしたら、果たして嬉しいでしょうか?
『好き』と感じているとき、脳がどのように働くのか、その仕組みがしっかりと把握されてしまって、あなたが○○をどれくらい好きなのかが数字で表せるとしたら、それは幸福につながるでしょうか。
好きなものについて考えたときの脳内の活動やら、あるいはウェアラブル端末みたいなもので体の様子をモニターしておいて、いつもいつでもあなたの好きを数字で表示!
あなたは数学が好きで英語が嫌い。
だったのが
あなたは数学が10好き(平均値:4)で英語が3好き(平均値:6)。
になっていく。
AさんもBさんも、Cさんのことが好き。
だったのが
Aさんは8、Bさんは15、Cさんのことが好き。
になっていく。
好きだからやっている仕事。
だったのが
20好き(平均値:15)だからやっている仕事。
になっていく。
好き嫌いが『人と比べることができる数字』になることは、私たちの輪郭をくっきりさせてくれるけど、ちょっとやりすぎのような気がします。
最後の例(仕事のやつ)を反転させると、
あなたが20好きでやっているという仕事だけど、他に30好きでやりたいって人が見つかったんだ。職場ではあなたの好きが最下位だから、残念だけど変わってもらうね。
ということもあり得たりします。
(このあたりはオークションシステムになりそう)
私たちはあいまいさに頼って生きているし、社会を形成しているので、あまり人間の輪郭にスポットを当てすぎると、猛烈な生きづらさがやってくる可能性はあります。
しかし好奇心は止められない!
ので、いずれは脳機能がモリモリ解明され、AIは知性があるふうに振る舞い、人間の神秘的な価値は失われてしまうでしょう。
そういう時代に、自分が、あるいは下の世代がきちんと向き合えるように、今のうちに知性についての考えを深めておきましょう。
哲学をやってもいいですし、
AIの登場するストーリーに触れてみるのもいいでしょう。
少なくとも今、想像力は人間の特権です。
先行者特権かもしれないし、永遠の特権かもしれませんが、使えるものは、使っちゃおう!
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