LOVE展に行ったらサイゼリヤと西洋美術の見方が少しだけ変わった気がする話
先日LOVE展に行ってきました!現在新国立美術展でやっている展示です。
今回私は音声ガイドを借りてしっかり解説を聞きながら鑑賞したのですが、「愛」という大きく宗教観に直結する題材だからか、「これはどの絵画を見るときにも活かせるな」という学びが多かったのでメモしておきます。
文中で展示作品の中でも著作権の切れた絵画を数点載せていますが、本物はもっとすごかったのでぜひ現地に行ってみてくださいね
サイゼリアの赤ちゃんは愛の象徴だった
LOVE展で展示されている絵画にはサイゼリヤの赤ちゃんみたいなのがいっぱいいました。いる絵には10匹くらいいます。
最初はサイゼリヤの赤ちゃんだ〜と思っていたのですが、ふくふくした天使のようなこの子達は「アモル」という愛の象徴の天使であることが解説でわかります。今後赤ちゃんを見たら「愛を描きたいのかも!」と見られるだけで絵画を読み解きやすくなる気がしました。
ところでサイゼリヤの赤ちゃんは、「システィーナの聖母」という絵画の一部分を切り取って使っているそうです。サイゼリヤにも愛を溢れさせたかったのでしょうか。
行動による比喩で感情を表す
考えてみれば、愛が生まれる瞬間は、人それぞれ異なるものであり、心のうちの事柄なので、パッとわかりづらいかもしれません。これを表現するために、絵画ではしばしば「射る」という行動による比喩が用いられています。
直接的に矢でハートを射止めているものもあれば、
視線で射ているものもあります。
これら二つの絵画はパッと見ただけでは同じ比喩だ!と気付きませんが、行動で比喩された感情があるかもと考えられれば共通点を見つけたり、「片方しか視線を送っていないからまだ一方的な愛情かな?」などと考えることができます。
「象徴」多すぎ
解説を見ていると、メタファーがめちゃくちゃ多いです。
例えばこの絵画はエバが禁断の果実を食べる罪の場面ですが、下にいるとかげは悪の象徴とされていて、罪深いことを補強しています。解説ないとわかりません初見殺しです。
時代的な考え方の違い
現代の感覚だとそうはならんやろ、ということが全然起きます。私がギョッとしたのは以下の二つです
愛を得るために男性は肉体、女性は魔術使うこと
急に魔法使ったり、すぐ略奪したりします。でもその時代の感覚では最大の愛情表現だったみたいです。
衝動的な性愛が多い
初めて手繋いでキャッキャ…みたいな可愛い愛情でなく、爛れたワンナイト的な情景が多いです。これはこの時代の自由恋愛、奔放への憧れであったリベルタン(自由人)的な思想と関係が深いようです。
時代によっての価値観を踏まえておくと、そうはならんやろに含まれた当時の常識がわかるので、もう少し価値観も勉強してみたいなと思いました。
聖書における親子愛の解釈が深まった
神は、人々の罪のために最愛の子であるイエスキリストが磔にされ殺されることを許しました。私は非情かつキリスト教のことを何も理解してなかったので「キリストより人々を選んだのか〜まあ人数多いしな」くらいに考えてました。
しかしLOVE展には、宗教と絡めた親子愛の絵画が多くあり、西洋絵画の中の世界では普遍として絶対に親子愛がありました。磔のエピソードはそれでも神がキリストを差し出したことや、それだけ人間を愛しているんだということを表すエピソードであり、神様的にも苦渋だったんじゃん〜などと思いました。語彙力なくて罰当たりそう
西洋における愛の宗教との密接さ
今回の作品群の、宗教画が占める割合を見ると、西洋における愛はキリスト教の精神と近い関係にあることがわかります。
展示の後半に行くにつれ「俗画」、いわゆる民衆を描いた絵画が多くなりますが、その中には聖書内で重要な意味合いを持つ「りんご」「薔薇」などが描かれ、絵画とキリスト教的価値観は切り離せないことを実感しました。
(帰り道に先輩が「あれ聖書の二次創作ってこと!?」と言ってて笑いました)
おまけ:生まれて初めて絵(レプリカ)を書いました
これだけ象徴やアモルの話をしておいてなんですが、私は普段の空間とその乱れから起きた出来事を想像させるこの絵が素敵で、初めてレプリカを購入しました。この絵をLOVE展に置こうと思った方に拍手。
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