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ふつふつと沸きあがるもの

不思議なもので、わたしの中から何かが沸きあがってくるときはいつも苦しいときだ。

悔しくてたまらない、悲しくてつぶれそう、否怒り・哀しみと一括りにはできない醜い感情が交差する孤独な夜、そんなとき紡ぎ出される言葉は悠々自適の生活からは決して生まれない魂の叫び、その結晶なのだ。

昔からわたしの心を動かすのも、切なさや淋しさそのもがきを餌に生まれたであろう作品が多い。

葛藤というものは実に煩わしく、何もかもうまくいっていれば何も考えなくて済むのに、俗世から離れ何も知らないでいるほうが楽なのではという考えがたまによぎる。

しかし仏陀の悟りも苦しみへの疑問が出発点であり、キリスト教の原罪という捉え方も苦しみが元となっているところを見ると、苦しいという感情や苦悩を与える事象は太古から人間の精神性と深く結びついているのだと思わざるを得ない。

そしてその苦は、大概他者と関わる中で生まれるから面白い。

嫉妬・憎悪も親愛・信頼も一人では決して成り立たない。

人間はなんて社会的な人間なんだろう。

わたしの中からふつふつと沸きあがるもの、それは名前をつけられない数多の感情が入り混じったもの。

ゴッホが絵を描かなければ彼がどういう人間だったのか知る手がかりはほとんどなかっただろうし、太宰治が小説を描かなければ彼の人生を考察することはほぼ不可能だったはずだ。

大概のことは寝て起きたら忘れる。

例外として憂鬱の名がついたブラックホールだけは何年も喉につっかえて取れない魚の骨のようだが。

これからこのノートに綴るのはそういった類のものである。

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