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医療と私④クリニック勤務。

 うつ病闘病生活が少し落ち着いた息子氏が保育園の頃、私の祖父の糖尿病が悪化しました。(祖父母揃って糖尿病というサラブレッドな私^^;)

 パニクった実家の母から連絡があったので、糖尿病の食事についての簡易的な表を書いて渡しました。

 それを祖父の通院時に、私もかかっていた内科クリニックで医師に見せたそうで。医師が感動してくれて^^;私に非常勤でいいから栄養士として働かないかという声がかかりました。

 当時の地元で、外来しかないクリニックで、栄養指導専属の栄養士がいるというのはとてもレアだったと思います。そこに力を入れてくれることに感動でした。

 しかも、その医師は、祖母の肺がんを最初に疑ってくれた恩人のような存在。
 二度と栄養士として働くことはないと思っていた私でしたが、この医師のもとでならば恩返しのつもりで働こうと思いました。

 仕事は患者さんへの栄養指導。総合病院に勤務していた時もしていたことだったのですが、不思議と患者さんが全然違う印象でした。

 祖母の闘病を経て、栄養指導の考え方が変わったこともあるのかもしれません。総合病院の頃は若かったこともあるのかもしれません。
 医師が人間として出来た寛大な先生で、患者さんたちからの信頼も大きかったので、その先生が勧めた栄養指導となると、患者さんの心持ちが違ったのかもしれません。

 ただ、私の性格的な問題だと思うのですが、目の前の患者さんの人生すべてを背負い込むくらいの気持ちになってしまうのです。自分の持っている知識を総動員して、患者さんのためにできることはないのかを考えていました。それは、私のとって大きな負荷であり、もしかしたら患者さんにとっても重荷だったかもしれないと、今となっては思います。

 なんだかんだで13年ほど勤務しました。
 迷いに迷った末、発達障害に関する活動に注力したかったので、2年前に退職。わがままを受け入れてくださったことに感謝しています。

以上、発達障害~母ごころ当事者ごころのあゆでした(*'ω'*) 

 

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