道徳と品性が嫌いだ
この二つを好きになれないのは我ながら人として最低だと思う。なぜ嫌いかというと、この二つには一定の基準に満たないものは弾き出す性質があるからだ。特に道徳の方は「いつでも万人を助けます」という顔をしているが、実際にはそうではないからだ。実例をあげると、アメリカのキリスト教の教会では胸に十字架さえ下げていれば困っている人は全員助けてくれることになっている。だが、緊急時は白人が優先となり黒人やヒスパニックといった有色人種は後回しになる。だから道徳というのはきれいごとだ。次に品性だが、あのね、人間なんて一枚皮をむけば全員猿なんだよ。食事のマナーだけで判断されるんじゃ困ったもんだよ。男性の場合は風俗店に通うと徐々に下がっていくと思うが、そういうのは内面の品性なんだな。他人から見えるもんじゃないね。そもそも品性のなさを理由に人を馬鹿にするのはだめだよな。みんな色々あって生きてんだからさ。
ただ、常識はさすがの私も肯定する。常識がないと社会を渡っていけないからな。人間、常に汗を流して働いたり社会貢献をしたりする必要はない。だが、常識によって正しい判断ができないと、社会の中で少しでも有利なポジションにその身を置けないし、自分が快適に暮らすことができない。
色々と偉そうに語ってきたが、私はとても未熟である。社会常識がほとんどない人間なのだ。だけど、これからは身に着けたい。
社会の中で正しいとされることは基本的に認めるべきだ。何一つ認めないと、暴力によって自己主張することになる。で、最終的にはマキャベリスト(政治的目的の達成のためには手段を選ばない人)になるだろう。そうなって事件を起こしたら、政治犯として10年や20年を刑務所で過ごすことになる。私とて嫌だし、皆さんも嫌だろう。社会不適合者だろうが、ある程度は正しいとされることを理解し受け入れないと暮らしていけない。