「すること」と「することが起きる」の違いとは。
この頃私は、物事を決心する時に「すること」なのか「することが起きる」なのか、を見極めるようにしている。
結論から言うと、「することが自然と起きる」時は、言動がすでに目の前で起きている、という事。加えて、アクションが起きている途中や、その後に、心が疲れていない。逆に、気持ちがいい。
一方、心が「すること」の位置に立って物事を決心した時は、事前に「くよ
くよ考えている」傾向にある。加えて、言動の途中、あるいは後に、精神的に非常に疲れて、楽しくない。
どちらも肉体的に同じように疲労しても、精神が疲れるか、疲れないか、面白くなかったか、面白かったかがわたしのベンチマークである。
さて、この二つの境目にあるのは、浄水器なのである。
つまり、何かアイデアみたいなものが出て、行動が必要になった時、あるいは行動が必要かもしれない可能性が湧いた時に、
そのことを一旦あずける。
次に、待つ。
最期に、預けたことを忘れる。
以上。境目にあるのは、浄水器カートリッジなのだ。
わたしはイメージ画像で、腑に落ちる事が多い。
日本で今でも出回っているのか知らないが、昔、カートリッジ・フィルターが備え付いた浄水器ポットというのがあった。そのイメージが浮かんだ。
(下記図)
水道水を注いだ後、暫く待つと、浄化された飲料水が下に溜まる仕組みだ。途中でカートリッジが水道水を浄化してくれる。
それと同じ過程で、カートリッジをACIM奇跡のコースが言う、Holy Spirit、聖霊、本来の我々、と見立てた。
アイデアが湧いた後、一気に飲まないで、一度このポットに注ぎ入れて、待つ。預けてさえおけば、自然とカートリッジ、Holy Spirit/聖霊が浄化をしてくれて、後は飲むだけ。
預けた後に、「待つ」という部分が大事な要素だとわかってきた。
また、預けて待っているという事さえも、浄水器に通して忘れてしまうこと。
こう言うと、何かいつも簡単にやってのけているかの様に聞こえるが、それは違う。
自分に対する信頼が、聖霊Holy Spiritに対する信頼より強い時の方が多いので、ヘマをやらかすことが多い。ヘマというのは、失敗という意味ではない。結局、疲れて、面白くないという意味。
でも、何度か、この浄水器プロセスを重ね、「心地よさ」を経験すると、また経験したいと思うので、次回へのモチベーションに繋がり、やがて習慣化するだろう。このHoly Spiritに一度促すやり方だと、必ずハーモニーが保てる。地球に優しい、というところだろう。
もう一つ浮かんだイメージは、例えば、森に入って木を切る仕事があるとする。
「すること」に集中すると、まず、森に行く前に、何の道具を持っていくべきか、何を着て行こうか、どの木が一番切りやすいか、失敗したらどう言い訳するか、等くよくよ考える。例え、何とかやり遂げたとしても、結果非常に疲れて、面白くない。
一方、「することが起きる」場合、気づいたら自分が森の中の一本の木になって、静かに大地に横たわっていた、という感じ。非常に気持ちがいい。
何事も、毎日練習すれば上手になっていくものだろう。わたしは出来なかったストレッチが、毎日の朝の練習で、この3年で出来るようになったのだから、証拠には十分だ。練習するば出来るようになる。