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信用って一体何ですか?編

「信用ってどういう意味?」

先日観た映画、Tom Hanksさん主演のFinch (2021)で、ロボットがFinchに聞くシーンがある。

信用かぁ、意味を知らない人になんとわたしなら答えるかな、と考えてみた。以下が勝手に付けた定義。

信用、信頼とは、
二者以上の関係性で、個人が元来持ち備えていた、不安感、疑惑を超えて、自己の安全性、安心感が確認されたときに、自然と浮かび上がる内なる感情。

つまり、信用信頼感情が生まれる以前に、逆の安感や恐怖を前もって持ち備えている事が必要条件。

コ-ス(ACIM)のKen Wapnickに寄ると、「~が信用が出来ない」というには、「~を信用したくない」という気持ちが内面に隠れているとのこと。

この「~を信用したくない」事を実証するために、わたしたちは「信頼性がない」ものをでっちあげなければならない。そして、「ほら、見てみご覧、だから私はこういう目に合ったのよ。」と周りに向けて、説明説得出来るのだ。大概のわたしたちは、その話にすっかり同調するもの。

わたしたち夫婦は、週末にはランチを外で食べる事が多い。新しいレストランカフェに行く時は、まずは車椅子で入店出来る事が先決なので、それを調べてから、レビューで星数が4以上の所に行くようにしている。
星数をある程度「信用して」、あるいはガイドとして行く。最近は、客が撮った写真をあらかじめ見て、それを決断の軸になる事も多い。

日本人の私の好みに合わないのは、まあ仕方ない事として、皿の盛り方や彩にはわたしはウルサイ。ぐちゃぐちゃと専門家ぶって批評する。ナイフやフォークが汚れて出されたりしていると、わたしは一気に不機嫌になる。

いつも思うのは、自分にとって不満足な食事でも、ある方々にとっては、とっても美味しい料理であるのだという、その逆もあり、面白い発見になる。人って面白いなぁ、色んな好みがあって、と。でも、わざわざ遠くまで夫を引っ張り出して長く運転させた後に、期待に合わない事があると、その場合は、夫に悪かったなぁと凹む事もある。

いづれにしても、この世の現象を体験する前に、潜在意識の奥底の声の鏡を経験しているに過ぎない事をわかりながら、カフェレストランの経験をすると、レビューの星数、他人の残したコメントは急に重要性を失う。

汚いナイフやフォーク、食事が出てくるまでに長時間かかること、のイベントに対してQuantum Forgivenessを行う事で、レストラン事、解き放ってしまい、本来の我々の実態、神やGodにReplacementをする。

そうすることで、気持ちがハレバレになる。わざわざネガティブなコメントを残そうと、必死にその文章を考える努力も要らないのだ。

めでたしめでたし。





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