見出し画像

親友ってなんだろう。

昨年イギリスに来て、
秋から冬にかけて日照時間が急速に短くなり、
ネガティブ期に入ってしまいました。
(イギリスあるある)

その時に、
自分が持っていないモノできないコト
注目してしまう日々が続きました。

英語が話せない
料理が上手ではない
こどもがいない
などなど…

そんな自分が持っていないモノの一つが「親友」でした。
私には自信を持って親友と呼べる人がいない….
私は寂しい人間なんだ….
闇堕ちしていく私。


ところで親友ってどんな存在だろう。

なんでも話せる人?
辛い時もそばにいてくれる人?
心から信頼できる人?
絶対味方でいてくれる人?
気を使わず一緒にいられる人?

よく考えてみると、親友の定義って曖昧で、
人それぞれなんだと気づきました。

私は辛い時や悩んだ時に、そんなに人に話したり
相談したりするタイプではないし、
どんなに仲良くなってもある程度の気は使うし、
誰しも最終的には自分が大事だから
誰かを心から信頼するって難しいって思っている。

このような少し冷め気味の思考になったのは、
小さい頃転校が多かったから。
父の仕事の関係で
幼稚園2つ、小学校3つ、中学校2つ通いました。

友達とすごく仲良くなっても物理的に離れてしまい、
当時は転校した後は手紙のやりとりくらいで、
しばらくするとどちらからともなく連絡が途絶える感じ。
結局、友達関係に「永遠」はなく、
友達はその時々作るものっていう
イメージが幼い頃インプットされたのかも。

一方で、「幼馴染」や「親友」という存在に
強い憧れがありました。
転校生はいつも新参者だから。
昔から仲のいい「親友」って本当に羨ましかった。
そして自分の中で「親友」というもののハードルを
勝手に上げていたみたい。
「長年お互いを知っていて、
 絶対崩れない信頼関係がある友達」

だからこの人親友だ〜って思った瞬間が今までなかった。


けど今、
日本に一時帰国すると決まったときに、
この人には絶対会いたい!と思う、大好きな友達が何人かいます。
この人たちが私にとっての親友なんだって今さらながら気づきました。
大人になると「私たち親友だよねー。」なんて
確かめ合わないから相手がどう思っているかは
わからないけど。

親友ってそもそも定義が曖昧なものだし、
相手というより自分がどう思っているかが大切ですよね。

私には親友がいる。


本当にネガティブ期に考えることってしょうもないですね。

万が一、再びネガティブ期に入ってしまった時のために、
自分宛のメッセージを残しておきます。

自分の持っていないモノやできないコトに注目するのは
やめよう。持っているモノやできるコトを見て。

あと、定義が曖昧なことに悩むのはやめよう。
世の中の大半のことは、
白黒つけられないことばかり。
ものは考えようだし、結局は自分次第だよ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?