名前も知らないおじいちゃん家の薔薇
おじいちゃんとは、私の祖父のことではありません。
自宅から駅へ向かう途中にそのおじいちゃんのお家はあって、車行き交う道路際に薔薇は植わっています。
おじいちゃんはいつもベッド上で過ごされていました。
春や秋には窓が開いていて、前を歩くとちょうどベッドのおじいちゃんのお顔が見える高さで。
何度も通っているうちに顔を覚えてくださり、窓が開いている時には前を通る度に手を振ってくださって、私も笑顔で手を振り返していました。
バラが咲くのもまた春と秋。ちょうど窓の真下に薔薇が植わっているので「薔薇、きれいですね」と話しかけたこともあった。
おじいちゃんは言葉こそ発しないものの、いつも話しかけるととても嬉しそうにしてくださり。
私もそれが嬉しくて、おじいちゃんのお顔を一瞬でも観たくて、向こう側の広い歩道を通らずに、車道スレスレのおじいちゃん家側をいつも選んで歩いていました。
おじいちゃん家の玄関先にはお水が置かれていました。
聞けば喉が乾いた鳥やお散歩で通りかかる犬、野良猫がいつでもお水を飲めるようにと毎日入れ替えて用意しているんだとかで。
お水はおじいちゃんに代わっておばあちゃんが汲んでいるのだと伺った。
秋も深まり、寒くなるといつしか窓が開くことはなくなった。
それでもすりガラス越しに聞こえるテレビの音やおじいちゃんの生活の気配を感じ、見ているかもわからなかったけれど、私は変わらず通る度にすりガラスに手を近づけて「コンコンコン♪ばいばい👋」とアクションしていました。
─暫くすると、テレビの音も聞こえなくなり、お部屋に電気が灯ることもなくなった。
入院でもしたのかな。
嫌な想像しかできない自分も嫌だったけれど、心配でたまらなかった。
春になっても窓が開くことはなく。
とうとう玄関のお水も置かれなくなりました。
きっときっとお引越しをされたのだろう。
そう思うことにしました。
薔薇が、
薔薇が。
今年はいつの年よりも花をたくさんつけて美しく鮮やかに咲いています。
本当は、おじいちゃんに教えてあげたいよ。
私はその薔薇を観るために、
今日もまた車道スレスレ側を歩きます。
おじいちゃん、おばあちゃん。
どうか今日もお元気でありますように。