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仕立て屋のサーカス

2022.5.4  本公演 [19:00回]  ルミネゼロ


この公演を知ったのは本当にふとしたきっかけだった。ガンジーさんを悼むツイートを目にし、その悲しみの深さを追って行き着いた先が京都公演を控えた仕立て屋のサーカスだった。

仕立て屋…?サーカス!?

公演日程をみれば東京公演があることも分かり、想像もつかないサーカスの存在に一気に興味がそそられた。公演を行う側、待ち望む側の双方からの熱量が伝わってきていた。


当日はいくつもの迷いと葛藤とを経て直前で"観る"選択をした。心が固まり清水みなとから新宿へまっしぐら。

入口には縫い合わさってできた一枚の大きな布。ここからサーカスが始まるのだと思うとわくわくが止まらなかったが、これまで公演を見続けてきた訳でも無い私にとって一切の先入観も情報もないままこの布一枚をくぐることが少し不安でもあった。

恐る恐る歩を進めて始まった世界。通路の両脇には販売のお店が並びどこか異国のマーケットにでも来たかのような感覚になる。
会場に入ると無数に垂れ下がる、細く長く裂かれた白い布の紐が幾束かにまとめられていてそれだけでも芸術的だった。客席は360度どこからでも観れるように円状にイスが並べられていて、中央あたりは素材も質もバラバラな大量の布が無造作に敷き詰められその上にクッションも置かれ座れるようになっていた。
私は、まずは俯瞰で観たかったため1番奥の後ろの高い座席を選んだ。


どこが始まりか分からないくらい自然に静かにはじまっていた。スズキタカユキさんが先程まで纏まっていた天井から垂れ下がる紐を解いて回る。ロールの生地を拡げては裂き、を何度か。手さばきも準備の姿も作品だ。

進むにつれどんどん引き込まれ息を呑む。曽我大穂さんは多彩で、いくつもの楽器を弾きこなし歌にも話術にも長けていた。この時点でもうすでにかなりおもしろい。スズキさんによって場内と曽我さんとがみるみる仕立てあげられていく。ミシンの音も布を断つ音も断たれた布の形状もすべてがサーカス。
その間曽我さんは音を生み、紡ぎ、奏で続ける。繰り返される音、重なり合う音、新たに加わる音。そんなパフォーマンスを取り囲んでみんなで観ている空間には神聖さや神秘さも感じ、なにかの儀式かお祭りのようにも思えた。曽我さんが背負い纏う一枚一枚の布は、来場者ひとりひとりの背負う様々なものにもみえたし、重ねてきた感情や人生にもみえたし、国々にも歴史にもみえた。きっと人によってここの感じ方はそれぞれだと思う。


曽我さんの話すエピソードも想いも、仕立て屋のサーカスの根幹も。聴けば聴くほど隔たりのない心を感じられ胸にあたたかいものが込み上げる。そして観覧の形だけでなくその場にいるみんなの気持ちも輪になり、会場中が優しさに包まれた。(曽我さんの想いと言葉はいつか機会があったときに直接感じて欲しいので伏せておきます)

ふとその光景がキャンプファイヤーに似ていることに気づいたり。曽我さんの放つどこまでも穏やかであたたかな言葉と真心を囲む私達。他の公演ではありえないくらいの自由が許され、誰もが自然体で人間らしくいられて、子供の泣き声も元気に動き回る姿も純粋な反応もみんなでそっと見守る。理想の世界そのものだった。こんなにも心地よい幸せな空間のサーカスが他にあるだろうか。本当に満たされた。

1部から2部への幕間の休憩時間にいちごを買った。席も、空いていた中央の布上の溜席(車座?)へ移動。これからはじまる2部への期待感とふわふわの布の上でいちごを食べながらサーカスを観るという非日常的すぎる状況にいよいよ陶酔し始める。振る舞い酒も用意されていたが、お酒は一滴も口にはしていない。



2部では曽我さんの魂の声を聴く。
音と光と布とが一度きりの世界を生み続ける。時に荒々しく。無音と闇との塩梅もまた刺激的で印象的。戦禍の祈りやガンジーさんへのレクイエムにも聴こえ自然と涙が伝った。

徐々に椅子席と溜席の間が大きな生地で遮られていく。こういった運命に左右され座る位置で見え方が変わる演出は大好物だ。先ほどまで最後方の席にいたはずの私が、休憩時間で中央付近に移動したため幕内に入れている。ちょっとした自分の選択さえサーカスの一部だ。
曽我さんの一挙手一投足をじっくり眺める。幕外の席からはその様子はぼんやりとだけ見えているのかな?とか、外からは外からでおもしろいのだろうな、とか考えながら。スチールパン(?)にBB弾をランダムにこぼしながら落ちて跳ね返る複数の音を楽しむ。などなど。幕の外にいた子供も耐えられずその様子のよく見える目の前に幕をくぐって見にきた。おもむろにBB弾を掴み、一瞬ほくそ笑んで(いるように見えた)幕の外の席へ楽しそうに投げ込む曽我さん。笑
こういうの大好き!!!
当然バラバラと降るBB弾の音と共に「きゃー!」「わ~!」の声。
何が起こるかわからないのも楽しいし、何が起きるか分かって観ているのも楽しい。遊び心もふんだんだ。
これ以外にも思わずクスッとしたりほっこりしてしまう箇所がいくつもいくつもあった。

愛と自由が溢れ、変化し続ける会場。魂の歌と言葉と音を身体中に取り込みながら、テントの中から無数の星が瞬く夜空を見上げているような解放感。
八方へ張られ、人為的に揺り動かされる旗と起こる風、大量に舞い散る紙吹雪の美しく儚い光景に思わず絶句。あらゆる物の上に積もる。食べかけで少し残っていたいちごも紙吹雪に埋もれた。


旗が一本一本順に断たれていくのと同時に自分に必要のない感情や雑念、欲なども断たれて削ぎ落とされていくような感覚になった。
生地を裁断する際の裁ち鋏のあのなんとも言えない重厚な金属音が大好きなのだが、机に鋏を当てて切る聞き慣れた音とは違った空中での迷いのない裁断音は快感だった。


空を海と思い、海を空と思った。

──という一説があった。世の中のあらゆる物事を反転して見てみたらどうなるのだろうとか、間違ったっていいじゃないとか、そんな見方があっても素敵だなと思えるくらい感覚がすべて覆り解き放たれた。
固執したがんじがらめな世の中はつまらないし嫌いだ。

こんな世界にずっとずっと居たいと思った。これから戻る現実の世界がこんな世界であったらとも。いや、この幸せな空間の実現も現実であり、終わっても終わらない、終わらせたくないな。なんて、こんな風に自分でも訳が分からなくなるくらいとにかく衝撃的で夢のような、幸せに満ちた時間だった。このサーカスから受け取ったものがあまりにも多くて大きい。

公演中、旅という言葉が何度も出てくる。その話を聴けばほとんどの人は無性にすべてを捨てて旅に出たくなったと思うし、改めて旅についても深く考えさせられた。
人生は小さな選択を重ね大きな覚悟を続ける旅だ。

終わってからも会場から離れられなかった。散らかった様はどこもかしこも芸術で、近づいてじっくり見たり遠くから眺めてみたり。一緒に時を共にできた友人と、観てきたものを思い出しながら、端から端までひとつひとつ丁寧に辿るようにしてその欠片を眺めてはいつまでも探し続けた。仕立て屋のサーカスごっこもした。

曽我さんは、販売の方々も大事なサーカス団員だとおっしゃっていた。そういう考え方にも共感しかないし、人を大切にできること、みんなが幸せな気持ちでいられる場所はつまるところ強い。

曽我さんおすすめの世界一小さなサーカス"純胡椒"。今ある粒胡椒を使い切ったら、この『 一粒の弾けるサーカス』を買うと私は心に決めた。


感想を文字に起こすのは本当に苦しくて難しい。空間まるごとサーカス、感覚もろともサーカス、魂揺さぶられる芸術と言えばいいのかな。何から何まで心が行き届いていて本当に素晴らしくて。私の薄っぺらな語彙力では到底説明できないので、ぜひ実際に観て欲しいし、次もまた必ず観に行くと誓うくらい素敵な内容だった。

帰宅して荷解きをしていると、着ていた服のフードやリュックのポッケなどあらゆるところから紙吹雪がはらはら。それもけっこうな量。笑
お家に帰ってからももう一度楽しいってなんだかすごい。ついさっき観てきたあの幻想的なシーンをまた思い出して手も止まり。持ち帰った優しい気持ちはそのまま消えずにずっとあった。
思えば仕立て屋のサーカスを知ったところからこのサーカスははじまっていた。清水に残ることも出来たのに、どうしようもなく惹かれて諦めきれず新宿へ戻ることを決断した当日の"返し縫い"のような出来事も、すべてひっくるめて私の体感した仕立て屋のサーカス。


最後に。終演後に見たこの椅子にガンジーさんがにっこりと微笑んで座ってくださっているように思えた。

すべてに感謝し、心があたたまり解放された夜。

くぐってきた布をもう一度くぐる時、とてつもない寂しさに襲われた。



幕が下りてもなお曽我さんの吹くあの全身全霊の笛の音が、今も耳の奥で力強く鳴り響いている。


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