ROJE五月祭「教育改革のその先に」
学生が運営するNPO教育団体「ROJE」が主催した教育フォーラムに参加してきたので、そこで学んだ内容をまとめます。
さすが東大、こんなものも売っていました。
概要
急速な社会変化の中で、これからの教育はどのように変わっていくのか、そのときに求められる学びとは、学校の在り方とは、〜新時代に求められる人物像とは〜というサブタイトルのもと、東京大学五月祭にて ◯陰山英男氏 ◯工藤勇一氏 ◯鈴木寛氏 ◯中村伊知哉氏 の4名を招いて講演会が実施されました。(とんでもない量になるので紹介は控えます、リンク参考にしてください)
スケジュール
1.開演挨拶(OP動画も挨拶も素敵でした。)
2.講演①「つくる人になろう」中村伊知哉氏
3.講演②「学校教育の本質から問い直す-学校の当たり前を辞めた-」工藤勇一氏
4.パネル・ディスカッション
5.交流会
書きたい内容が多すぎるので、講演会の内容は今回控えます。私の感想の中に盛り込ませて頂きます。
変化していく教育
AIやロボットがものすごいスピードで浸透していくこれからの社会、誰も予想できない時代の変化の中に私たちはいる。新しい音楽、スポーツ、街、サービス、私はとにかくわくわくしている。しかし中には不安に思っている人も多くいるだろう。高齢社会、少子化、貧困格差、失職、課題は多い。
私が教員を辞めた理由のひとつとして、学校が「変わらない」からだった。さらには「変わらない」ことに対する不安が凄まじかった。「変えなきゃいけない」と思ったけれど自分の力じゃ「変えられない」から離れた。
でもこの講演に参加して確信した。絶対にこの数年間で「変わる」。
そのときに、教員は文科省の通達の通りに動くのか。目的意識を持って行動するのか。全ての教員が後者であって欲しい。前者だと、愚痴や不平不満がでてくるのが明確である。「なんでこんな面倒なことを」と愚痴がこぼれる。人間は変化を本能的に嫌う生き物なので、このように感じるのは普通である。
大丈夫だ。めんどうなことは、これからロボットが全てやってくれる社会がくる。そのとき、人間である我々は何をすべきか考え、対話し、見つけていく力を持つことが重要だ。(中村氏は「超ひま社会」になると予想)
OECDの提唱するキー・コンピテンシーについて触れる。日本の教育は大きく変わる。私たちは「皆、仲良く」と指導されて育ってきた。これからは「対立やジレンマを取り除く」という能力を育てていく教育になる。「皆仲良く」しなくてもよいのだ。ひとりひとり、考え方や感じ方は違っていいのだ。「心をひとつ」にする必要はない。しかし「対立」が起きたときに攻撃や排除ではなく、対話によってジレンマを取り除くスキルが必要だということだ。(日本の女性はこのスキルがトップクラスらしい。)新しく高等学校に登場した科目の「国語探求」「社会探求」「理数探求」などの目的はそこにある。
当事者意識を持つ
この意識を全ての人がもって欲しい。「最近の若者は優しすぎる」「昔は、もっと自由でいい時代だったなあ」とよく言われきた。「最近の若者」も「今の時代」もつくってきたのはあなた方じゃないかと思っていたこともある。しかし、私はこの時代に生まれてきて最高に幸せだと今は思っている。これから何をすべきかを考え始めるとわくわくが止まらない。講演会でも強く語られた「当事者意識」を全ての人が持とう。
「クラスの出席率が高い」これが素晴らしいと評価されると、威圧的な指導やペナルティを用意して、強制的に登校をさせる教員さえもが力のある教員として評価されることになる。「学校が楽しい、勉強が楽しい、居心地がいい」ゆえに「出席率が高くなる」という関連性を忘れないで欲しい。目的を見失ってはいけない。いじめ調査のアンケートをすることが目的になっていないだろうか。漢字テストをすること、平均点をあげることが目的になっていないだろうか。
なぜ、出席率をあげたいのか?
なぜ、いじめ調査のアンケートを実施するのか?
なぜ、漢字テストをするのか?
全ての職員が、この質問に共通認識で答えることができるだろうか?
部活顧問がなくなる?(私の意見です)
これを記事に書くのはすごく勇気が必要だったけれど、本音なので書く。部活指導は教員の仕事ではなくなると私は思う。勇気がいると言ったのは私がお世話になった先生や、尊敬する先生方にも部活指導に熱い情熱を持っている教員がたくさんいるからだ。そして私自身も部活の顧問をしていた。熱い思いを持っていたし、子どもたちに対してどのように指導すべきか常に悩んできた。
表現を変えると働き方が変わってくると思う。スポーツを本気でやりたい子はその指導ができるプロから(例:クラブチーム)。楽しくやりたい子は同じ気持ちの仲間と取り組む(例:サークル)。教員の指導力や、部活動の目指す方向、規模は学校によって差が大きい。お金、距離、学力、様々な理由で希望しているチームでプレイができない生徒もいる。
全ての人がやりたいことに挑戦できる社会、部活も学校も授業もカスタマイズ可能にするべきである。
e-sportsが正式種目になったとき、従来の部活指導や学校教育のままだと限界がくる。新しいスポーツもどんどんでてくる。今の仕事量の中、その変化に対応できる教員はほとんどいない。
部活を例に出したが、通常の授業でも全く同じことが言える。正直、私の授業力はそこらのyoutuberやAIアプリに大きく劣る。頼れるところは頼った方が子どもたちのためになる。変わらないままでいると、子どもの夢や目標に学校教育は寄り添えなくなる。
環境によって、やりたいことをあきらめてしまう。そんな課題をテクノロジーの力で変えていける。 学校と社会はどんどんつながっていく。
つまり、学校だけで子どもたちを囲むような教育はもう終わりということ。子どもたちにとって学校だけが学ぶ場所ではない。家族も、企業も、先生も、自然も、youtubeも、アプリも社会のあらゆる事象全てが学べる場所なのである。全ての子供達が18年間も規律正しく黒板を見てノートをとり定期テストのための勉強をする必要はない。
学歴社会も終わる。やりたいことを見つけ、楽しみながら続け、創造し、責任を持てるひとがこれからの時代、幸せになれる。
教員はどうあるべきか
工藤氏より「世の中ってまんざらでもない」「大人って素敵だ」と思える学校にしたいという思いを聞いた。私もずっと同じ気持ちである。
「学校は理不尽を教える場だ」そんな言葉が出回っていたことを、全員が口をそろえて「やばい時代があった」と笑って言える社会にしていきたい。
教育委員会や保護者対応対策が業務の大半を占めて、「子どもたちのために」を見失っている学校がたくさんある。
生徒の問題行動がどんな影響を与えるのかもう一度話し合って欲しい。授業中スマホいじることがなぜ問題なのか。
先生に失礼だから?スマホをいじることはなぜ失礼なのか。「頭髪服装の乱れは心の乱れ」…では、頭髪服装はパーフェクトだけれど、学校の外ではSNSに悪口を投稿しまくっている生徒はどうなんだ(いるよね)。金髪ピアスだけど、友人から愛されている情に熱い子どもはどうなる(いるよね)。
決めつける前に、本質についてもう一度話し合い、子どもたち保護者に共有していくべきだ。
そんなこと言ったって、
と思った方、絶対いると思います。どうにも難しい学校体制、難しい家庭環境の子どもたち、追われる雑務、人間関係、、、たくさんの課題の中で今の先生方が出来ることは、「対話」だと思う。これを意識して子どもたちと向き合って欲しい。従来の先生らしくなくていい。本音で子どもたちと対話する時間を増やして欲しい。びびらなくていい。炎上をenjoyできることが大事(鈴木氏)。
教育はティーチングからコーチングに変わる。子どもの思いを引き出して、多様化する社会の中で子どもたちひとりひとりが、自分の価値観を理解して自分らしい人生を歩めるように、その自分らしさをみつけることを最優先にして向き合う教育。手とり足取り大事にされると、その手から離れたとき、世話を焼いてくれないとクレーマーになる。自立するために導いてあげるのがこれからの教育だ。
教育といって自分(大人)の価値観を押し付けてないだろうか。子供のためと言って手厚く時間をかける教育が、自分の感情を満たすためになってはいないだろうか。
まとめ
だいぶ、感情のこもった文章になりましたが、本音です。教員時代の自分が叩き込むような指導をしていたことを反省します。たくさん失敗をしました。もっと勇気があればよかった。当たり前の世界に染まって、本質を見失ってしまっていた。学校で働く全ての先生が、変わる勇気と、変わる楽しさと、本質を追求する力を持ってほしいです。
一番の課題は、教員のマインドセットだと思っています。
これから社会や教育は更にわくわくするものに変わっていく。その変化を楽しめるか、順応できるのかが大切である。
今、私はプログラミングを勉強しています。テクノロジーと大好きな教育をつなげたいから。そして、子どもたちのわくわくしながら学ぶ笑顔がみたいから。
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