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人の尊厳を守ることと、福祉職について


保活、二つ目の備忘録。
人間の尊厳と、福祉職について。



子どもの乳幼児期は、本当に大事な時期だと思う。

自分と人への信頼の土台になる、愛されている感覚だけでなく、五感や言語や運動機能、いろんなものの土台が作られる時期に、乳幼児がどのような環境で過ごすのかって、きっとすごく大きなことなのだと思う。

土台につまずきを抱える人と出会うことも多い仕事をしているからなお一層思う。せめて、このほんの数年だけでも、目一杯愛されて、大切にされ、できれば土や草木にふれ、美味しい空気を吸い、自然な食べ物を食べて、太陽と共に暮らせたら、何かが違ってくるのではないか。



保育園は本当に色々だった。

こんな日当たりの悪いビルの中で過ごすのに、日中外に出る頻度は週1回?とか。

それをつけては体幹機能の発達に良くないらしいのだけどな…という"安全グッズ"を一日中身に付けさせられて過ごしている、とか。でも先生の余裕がなさすぎるんだなあ、人数多いよなあ、苦肉の策なのか…と思いを馳せたり。

かと思いきや、子ども2人に対して大人1人の保育園は、なんだか子どもたちが楽しくなさそう…?監視されて窮屈なのかも?というところがあったり、

時間や働き手の余裕はあるはずなのに
狭い部屋でおもちゃで遊ぶだけの子たちをみているだけで手持ち無沙汰そうな園があったり。

一場面だけ切り取って何かを評価できるものではないのだけれども、自分の仕事に紐づけて、人の尊厳と福祉職について考えてしまった。



たとえば経済学者の中には、"福祉は雇用の受け皿になりうる"ということを平気で言うひとがいる。
それはそうかもしれないし、たとえば学があって体が丈夫なことが優位、そうでないと働くことすらできないというのは違う、と思う。

でも、"雇用の受け皿"として暗に"誰でもできる"などと言われがちな福祉職が日々向き合っているのは、人の尊厳。

人が自分らしく生き、そして自分らしく死ぬ。そのために必要な役割を、私たちは、この社会は、あまりに軽視しすぎているのではないだろうか。

一般に福祉職は社会的地位が低い。平気で「"そんな仕事で"働いているの?」などという人がいる。
そこに紐づいているのだろうけれども、多くの場合、福祉の仕事は、賃金がとても低い。

たくさんの人が、育児や、介護の難しさを感じ、大切な役割だと感じているはずなのに、今もなお、福祉職の価値が見直されないのはなぜなのだろう。

その成れの果てが、目を覆いたくなるような、福祉の現場で起きる虐待なのだと思う。

たとえば介護分野で働く友人が、ごく一般的な介護施設に実習に行ったとき、
ストレッチャーにのせられた利用者さんが、おむつ替えの際、タオルなどもかけられることなく下半身裸のまま廊下を運ばれていた、と言っていた。多分これは、虐待として取り上げられることすらない瑣末な1場面。
誰がそんなことをされたいというのだろう。
自分だったら?自分にとって大切な人だったら?ボケてわけわからなくなっていれば別に良い?
そんなはず、ないでしょう。

私が実習に行った先では、献身的に働きながらも、貯金すらできない給与でその日暮らしで働く職員さんたちが「働けなくなったら、生活保護を利用する(より他にない)」と言っていた。フルタイムで何年も何年も働いていて、なんで?

自分の尊厳が守られていないにも関わらず、人の尊厳を守るって、無理な話だと思う。



私は目の前の人の尊厳を守るために、人と自分と向き合い、時に社会構造に目を向けてアプローチをしていく仕事って最高にかっこいい仕事で、めちゃくちゃ面白い、と思っている。
私にそう思わせてくれたソーシャルワーカーにたくさん出会えたからこそこう思えるから、あとから続く人にも希望を見せられるよう、私はかっこよく働き続けたい。

それくらいしか今の私にはできないけれど、でも、もうちょっと、人間の尊厳を大事にしようよって思う。人がその人らしく生き、そして死ぬことについて、そのために必要なことについて、もっと真剣に考えた方がよい。絶対に。

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