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山口百恵への想い
・「蒼い時」(集英社文庫・山口百恵)のネタバレが含まれています。
倖せになります。
昭和という時代に「伝説」として生き、平成・令和では「神話」として語り継がれている歌手、山口百恵。
彼女が歌手としてデビューしたのは、14歳の時。そして、結婚を機に芸能界を引退したのはわずか21歳の時。
まさに、今の私(20歳)くらいの時に、結婚を決めたのだと考えると、不思議にさえ感じる。
なんせ今は「結婚しなくても幸せになれる時代」なわけで、生涯独り身を貫く人もいたり、平均的な年齢より少し遅い年齢で結婚する人もいるわけだから、山口百恵の若き決断というのは、現代人にとっては少し非現実的な話にも聞こえる。
序・山口百恵との出逢い
私自身、山口百恵(以下、百恵ちゃん)のことは、ほぼ何も知らなかった。
かの有名な「横須賀ストーリー」の歌詞、『これっきり これっきり もうこれっきりですか』を替え歌にしたCMを見たことがあったり、旭化成のCMでは「さよならの向う側」がちらっと流れていたり、有名どころはなんとなく聞いたことがある程度だった。
高校3年生の初夏だったろうか。
何人かの友人とカラオケに行った時、一人の女の子が「イミテイション・ゴールド」をクールに歌い上げた。
私は、その彼女の潔い歌い方と、曲の内容に感動した。
その曲が百恵ちゃんの曲だということを知ったのは、インターネットで「イミテイション・ゴールド」と調べた後のことだった。
私もカラオケで歌えるようになるわ、と決めてからは早かったと思う。「いい日旅立ち」「さよならの向う側」「しなやかに歌って」は、すぐに覚えたと思う。
それから数年後、高校を辞めたあと、アルバイトをし始めた19歳の時に「乙女座 宮」を覚えた。
職業柄、人と一緒に歌う機会が増えて「きっと百恵ちゃんを歌えたらこの人たち喜ぶだろうな」と思って一生懸命練習したことを覚えている。(想像通り、「乙女座 宮」は十八番になったし、一緒に歌いたいと言って覚えてくれた人もいた)
私 すぐにいくわ
いいえ 悔やまないわ
信じることが愛だと教えてくれた
やさしいあなたと
私もこんな言葉を残して、愛する人と旅に出たい。ああ、これって人の夢だ。
それに、もし百恵ちゃんが現役で活躍していた時代に私が戻れたとしたら、この曲をテレビで歌う百恵ちゃんの姿に、私はきっと恋してしまう。きっと、そう。
「私、百恵ちゃんの曲が好きかもしれない」
そう思った。
道・あなたを知る
百恵ちゃんは、まるでいくつもの女の人格を心に宿しているかのような人だ。
無垢で何も知らない少女、恋を知ったばかりで浮き足立つ少女。浮気な心を燃やす女、暗い気持ちを隠し気丈に振る舞う女。そして、旅立つ女。
「本当の百恵ちゃんは、いったいどこにいるの?」
私が最初に抱いた気持ちだった。
人の生き様は、最後に出ると思っている私。
「山口百恵」として大衆に姿を見せた最後の年月は、1980年10月。
引退の半年前に発売された「蒼い時」という一冊の本に、百恵ちゃんのことが鮮明に綴られていた。なぜならそれは、百恵ちゃん本人が書いたものだから。
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衝撃だった。
百恵ちゃん、私たちにそんなことまで教えてくれるの?
百恵ちゃんの心のうちを、そこまで知ってもいいの?
それはもちろんだし、私が個人的に「こんなことを言える人なんて、すごい」と思ったのは、百恵ちゃんが性について言及したページのこと。
あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ
小さな胸の奥にしまった大切なものをあげるわ
中学生の女の子が歌った、一見際どい歌詞。
多くの記者が、インタビューの際に「女の子の一番大切なものってなんだと思いますか」と、百恵ちゃんに訊ねたらしい。
百恵ちゃんはこの質問に対して「まごころ」という一言で通しきったと言う。
私の困惑する様を見たいのか。
「処女です」、とでも答えて欲しいのだろうか。
(中略)
歌うにつれ、私の中で極めて自然な女性としての神経という受け入れ方ができるようになっていた。
心の、もっと深いところ。愛する人にしか捧げられないたった一つの真心のことを、若い百恵ちゃんは知っていた。
それが、かなり凄いことだと思った。私には想像できない領域のことで、そして最も山口百恵についてよくわかる文章だ、と感じた。
歌を渡され、歌い、持て囃されることばかりではなくて、彼女は自分の歌のことを「自身」だと思っていたのだろうと思う。自分をよくしてくれるスパイスといったようなものではなくて、まさに自身のように愛し、守った。
心身が生きているのなら歌も永遠に生きている。逆も然ること。
そんな彼女が命を燃やした芸能活動の先には、愛する人と結ばれるという「試練」があった。
素・あなたは歩きはじめた
「蒼い時」を読むに、百恵ちゃんにとって三浦友和(以下、友和氏)は、言葉にしてもしきれないほどに尊い存在なのではないだろうか。
きっと、文字で書かれていることの何千倍も彼を愛し、守り、感謝しているのだろう。友和氏が、百恵ちゃんの長い悲しみを拭い去って慈しみに変えたように、百恵ちゃんは同じことを返しているのだろうなと思う。
21歳という若さで、家の者として、人と一生添い遂げるという覚悟をしたこと。そして、その気持ちに誠心誠意向き合っている相手がいるということ。
この二人は、誰にも真似できないほど尊い存在だ。
この曲は、山口百恵としての最後のコンサートで、マイクをステージに置いた時に流れていた曲だ。
This is my trial 濡れた歩道を
It’s lonesome trial ただひたすらに
ひきかえせない ふりむきもしない
そう私は今まぎれもなく 自分で歩き始める
あなたは、誰かの力を借りて歩いているのではない。
あなたが決めたこと。そして、あなたが進んだのは、あなたの最も愛する人が導く道。
きっとこれから先も引き返して戻ってくることはないんだろうけれど、あなたが「山口百恵」としてステージで輝いていたことを知れたことは、本当に本当に良かった。
結・あなたのうしろ姿
ここまで静かに、演者が舞台から去ってゆくことがあるだろうか。
それなのに、今でも時々、彼女や彼女の愛する人を狙って「彼女の近況」を知らせる者がいるが、私はそんなものに対して、良いとか悪いとかっていう評価の前に、興味がない。
百恵ちゃんは、自らの後ろ姿を見せないようにしている。だから「山口百恵」を匂わすものが表に出てきたりすることだってない。
私たちが追うのは、百恵ちゃんが作った神話だ。
その声、表情、紡いだ言葉。いつの時代も、語り継いでいきたい。
まだ幼い声で一生懸命歌い上げた曲。
声域が広がり、深い声でしっとりと歌い上げた曲。
百恵ちゃんが残した全てのものが、「生き様」なのだ。
彼女の若かりし頃がこれらの曲にあるのかと思うと、私は感動と興奮で胸が熱くなる。
最近は、山口百恵の7年間の歌手人生を、リアルタイムで見ていた人が羨ましい。
神話になった今だからこそ美しいと思えるわけじゃないと思う。だいたいの神話は、広まる前から崇められているものだから。
「蒼い時」についての感想文を書こうかと思っていたのに、山口百恵への愛や想いを語ってしまった。
山口百恵は永遠にそばにいるし、そうやって近くに彼女の声が置けるような環境になった今に感謝したい。
そして、私もいつか山口百恵のように「愛されるよりも、愛したい」と思えるなにかに出会えたら良い。
その時、きっと今回読んだ「蒼い時」について、もっとよく理解できる気がするから。
※みんなのフォトギャラリーより、素敵なお写真を借りさせてもらいました。ありがとうございます。