HKB
なんか閉経ブームでもきてんのかな?というくらい、私の周りの情報には閉経関連で溢れてる。まーそれはフィルターバブル的なものがエコーチェンバーしてるからそんな偏ったものしか流れなくなってるんだろうけど(使い方合ってるかどうか不明)。
そもそも私と生理は初潮があったときから私VS生理だった。そのような思い出しかない。生理とともに徐々に少女から女性へと緩やかに軽やかに(ダイアナエクストラバガンザのキャッチフレーズみたい)大人になっていく淡くて青い春みたいなものとは程遠かった。ひたすら戦いだった。だから閉経することへの怖さや女性としての喪失感?みたいなものを語る人に全く共感できず、こんな私は少数派なのかなと思ってしまった。あんなに煩わしかったのではなかったのか?生理は女にとって、不快で不便で不都合なもの以外の何ものでもなかったのか?
個人差がありすぎるものだから、これは私の生理が割と平均よりとても重かったからだろう。私としては子供を生むためだけの機能だから、子供がほしいと思ったときにアタッチメントのようにスチャっと子宮と卵巣をセットして、それ以外の時は外して生理の期間を考えることなく旅行などの計画がたてられたらいいなと思ってしまう。近い将来そうなってほしい。個人的に。
だから私は子供が授かっていても授かっていなくても、婦人科で「子宮筋腫と卵巣のう腫と子宮内膜症があるので全摘がオススメです」と言われたとき即答で全摘で!と言えた。現実は一人、娘が生まれていて「お子さんもいらっしゃるし全摘でも大丈夫だよね」的に言われたときなぜだかモヤモヤしたのは、私がまだ子供を産んでなかったら全摘をここまですすめなかったのだろうかと思ったから。
結婚すれば“普通は”子供を産んでそれもできれば二人産んで…みたいな幻想はいつから生まれたんだろう。どうして人の人生を全くの赤の他人が(家族間でさえそんなことは言うべきではないが)いちいち首をつっこんでくるんだろう。
私にとって生理は呪いだった。生理が来るたびに女であることを呪った。月の半分以上は不調だった。子宮から毎月呪いをかけられてはその呪いを子宮に返すので、そこから命を育んで産まれる赤ちゃんにはどうしても興味が持てなかった。
だから「子宮も卵巣も全摘した方がいい」と言われたとき「ヤッター」と思った。この日を待っていた。生理痛が重いたび、やけにハードルの高い産婦人科に行っては「こんなことくらいで来るな」とか「結婚してるんだったら子供を産め。そうしたら内膜症はよくなる」とか…股を開く羞恥心とハラスメントを耐えなければならない理不尽さから逃れられる解放感。全摘は私にとって絶望ではなく解放だった。
生理がなくなって2年くらいたち、本当に良いことしかなく、あの辛かった日々はなんだったのかと思う。どこか出かける約束も、なにも考えず日程が決められる。なにも心配がない。鎮痛剤の心配もナプキンの買い置きの心配も漏れてしまう心配も…
とはいえ。。女性ホルモンがなくなるということは一大事であり、私は39歳で全摘したので50歳までは女性ホルモンを補充するため、エストラーナテープを貼っているので、こんなにも快調なのだろう。問題はエストラーナをやめたあと、更年期障害が起こることなんだろうけど…そこは野となれ山となれ。私にとって生理がないということが最大の薬なんだ。
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