pazuuu

資本主義も権威主義も立場主義もファックオフ!!!

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最近の記事

そうして私たちは金魚をプールに、

見た。 私は高校のとき実際にこの映画のように幼なじみ4人で 小学校のプールに夏休みの明け方忍び込んで、足くらいは水につけた記憶がある。 この映画と決定的に違うのは 映画の彼女たちの関係性と私の幼なじみとの関係性。 映画の彼女たちはそれぞれお互いをそこまで深く繋がっていたいと思っておらず 私のウェットな関係を持とうとする幼なじみとは違う。 それは 時代が違うからだろうか。 私は本当はそのウェットな関係が嫌いだった。 高校の進路が見事にバラバラになったとき心底 これで解放された!

    • 天皇杯

      2008年あたりからヴァンフォーレサポをしてまして。まあ、ありがちな夫に誘われたからというきっかけでして。 それまで私は(ほぼ今も)スポーツをやるのも見るのも苦手なタイプでして。日韓ワールドカップでさえ盛り上がらなかった私はサッカーのルールもよく分からず「オフサイド」って何?っていうサッカーど素人でした。 地元にプロサッカーチームがあることは知ってはいましたが、カッコいいイメージがなく(とても小さなチームなので)スタジアムも専用じゃない(言葉を選んで)質素なものだったので期待

      • 7月8日

        子どもが10歳になった。当たり前だが10年前は赤ちゃんだったということで、そんな当たり前のことが全く頭の中で整理されてストンと胸の中に落ちない。本当に手垢にまみれて使い古された言葉だが10年前が昨日のことのように思える。ついさっきまでほんの数日前まで、目の前にいる私の手を借りず自分の世界観を持って座っている彼女は、私の腕の中におさまるくらいの行動範囲しかなかったような錯覚におちいる。実際はその年月は10年だというのに。 何事もそうかもしれないが、特に子どもの成長ほど強く感じる

        • エンパシー

          子宮と卵巣を全摘してから貧血は治ったのに、年に一度くらい目が回り気持ち悪くなってとても立てない状況になることがある。半日休めばもとに戻ったのでまた貧血なのかなとか起立性低血圧なのかなとか、勝手に考えていた。 先日また強烈なめまいが寝返りをうっただけで起こった。すぐにおさまると何度も念じていくぶん和らいだ時にトイレへ行った。そのままベッドへは行かず居間に降りるとまた凄まじいめまいに襲われた。一緒に吐き気も催して、一気に不安が押し寄せた。 今までにないめまいと血の気が引いていく

          久しぶりの雪。雪が降っている空を見上げると雪がゴミのように見える。その風景がとてつもなく懐かしく感じる。子供の頃、好奇心とワクワクだけのイノセントな目で見たあの景色を憧憬に似た気持ちで。

          久しぶりの雪。雪が降っている空を見上げると雪がゴミのように見える。その風景がとてつもなく懐かしく感じる。子供の頃、好奇心とワクワクだけのイノセントな目で見たあの景色を憧憬に似た気持ちで。

          どうしても

          Netflixの浅草キッド。誰もが絶賛するように私も面白いと思っている。ずっと私が抱いていた、男だったら芸人になりたかったという思いが、この映画を見て熱く呼び起こされたし情熱的な映画だと感じた。 だけど どうしても気になる演出?がある。 マスカキ厳禁のトイレのシーンは長すぎると思う。 この箇所にとどまらず長すぎるシーンが多いと思う。 よくいう説明しすぎる感じ? 私の持論だけど2時間超える映画は(全てじゃないけど)たいていクドい場面が多すぎるんだと思う(特に邦画)。 芸人の“粋

          どうしても

          自分のクズぶりを隠すために政治や社会が悪いと周りに言ったり呟いたりする行為が無差別殺人と同じ構造なんじゃないかと思って落ち込んでる。

          自分のクズぶりを隠すために政治や社会が悪いと周りに言ったり呟いたりする行為が無差別殺人と同じ構造なんじゃないかと思って落ち込んでる。

          止まれ

          もういい加減、個人のせいにするのやめにしないか。その個人だけを追求・厳罰にして何になる。サイコパスなんだと思考停止しては、“普通”の日常を繰り返して忘れた頃にまた同じような事件が起こるのだ。なぜこの社会こそ狂ってるのだと思わないのだろう。痛ましい事件が起こるたび、加害者のことを考えずにはいられない。私はたまたま健全な両親がいて友達がいてパートナーがいて悩みを聞いてくれる環境があったから運が良かっただけだ。そういう環境ではなかったら、私は加害者のように人を呪い世を呪い自分も呪う

          止まれ

          つらつら

          今年はM-1を見なかった。見れなかったのではなく、あえて見なかった。そして見返そうとも思わない。あまのじゃくだから、面白いとか感動したとか肯定の感想があがればあがるほど、見たくなくなる。見てしまえばきっと楽しめるし感動する。するに決まっているけど。けれど…どうして今年は、いやこれからも、M-1を見ることに否定的になってしまったのか?自分なりに解明してみる。 ❶ M-1が多数の日本国民の娯楽になったことによって不自然な影響力が起きた。 ❷ 漫才が高尚なもののように扱われてる

          つらつら

          マボロシ

          10年以上働いてたお店の閉店が決まり、仕事探しを久しぶりにしている。この感覚を40過ぎて再び味わうのは酷く虚しくて辛い。若かったあの頃も辛かったけれど、あの頃よりも数倍辛い。 この国は自己責任の国だ。それにNOを突きつける政党を支持しているけれど、実際自分はキャリアアップなど努力もせずホント運だけでここまで生きてきて、閉店を期に仕事探しはじめても誰でもできる仕事しか選べないのは、自分のせいなんだ。最低賃金を上げればそれで解決なんだろうか。このやる気のなさはどこからくるんだろ

          マボロシ

          哀愁しんでれら

          見終えた。思ってた内容ではなかったので前半はただただ苦しかった。白馬の王子さまは実は…的なものだと思ってたからそうではない展開に前半の息苦しさを遥かに上回って後半もっと苦しかった。余韻から抜け出すのに時間のかかる映画だ。 思ってた内容と前半部分が自分の友人の話のようで幸せが絶頂に達しようとする描写がとても素直に喜んで見てられなかった。ちょうどジェットコースターの最初の部分みたいに。登りつめたあとの真っ逆さまに落ちるであろう予感が凄まじく怖かった。 真っ逆さまに落ちていくき

          哀愁しんでれら

          正気は凶気

          いよいよ既存の組織が崩壊してきた。今までのような常識が全く通用しない現実がすぐそこまで来ている。本当に目の前だ。頭では分かってた。だけど行動に移すのは難しい。なんだかんだ言って私は人生の王道を歩いて来たからだ。 誰かが決めた人生の設計図。大学に行って会社に就職して恋人を作って30代になる前に結婚して子供を作ってできたらマイホームを建てる。定年まで働いてその後は年金で暮らしていく。この設計図。なんか今の時代に聞くと「そんな暮らしあるわきゃねーだろ」と叫びたくなる。でも私はギリ

          正気は凶気

          暴走特急途中下車

          私はいわゆる、自分で年金や健康保険やら税金を納めてる人から最も嫌われてる扶養者だ。そんなお得な立場になれたのは、結婚相手がたまたま正社員だったから。私の配偶者は学校を卒業してから今までずっと同じ企業に勤めていて、こんなご時世に浮き沈みもなく安定した給料とボーナスをもらっている。そんな相手に恵まれた私はおんぶに抱っこだ。 高度経済成長を支えたのは間違いなく、男は仕事 女は家を守る この役割分担を徹底したおかげだろう。だからこそ“専業主婦”という立場には色々な免除があり、それは

          暴走特急途中下車

          HKB

          なんか閉経ブームでもきてんのかな?というくらい、私の周りの情報には閉経関連で溢れてる。まーそれはフィルターバブル的なものがエコーチェンバーしてるからそんな偏ったものしか流れなくなってるんだろうけど(使い方合ってるかどうか不明)。 そもそも私と生理は初潮があったときから私VS生理だった。そのような思い出しかない。生理とともに徐々に少女から女性へと緩やかに軽やかに(ダイアナエクストラバガンザのキャッチフレーズみたい)大人になっていく淡くて青い春みたいなものとは程遠かった。ひたす

          メッセージ

          今日は結婚式を挙げたフレンチレストランで食事をした。ここで食事をするのは2回目。1度目は結婚10周年で。そして今年は15周年記念。私のお母さんとお兄ちゃんとそして10周年の時には落ち着いて椅子に座っていられないだろうと連れてこれなかった今は小3の娘。5人でフランス料理を堪能してきた。 結婚式を挙げた次の年から毎年DMが来て、記念日にはこのレストランで。と案内が来ていたけど、高いしフランス料理だしと二の足を踏み続けて10年。その年に家を建てるという偉業(?)を成し遂げたので1

          メッセージ

          映画感想

          エクストリーム・ジョブを鑑賞した。張り込みのために開いたチキン屋さんが繁盛しちゃうっていうあらすじを読んだ瞬間、踊る大捜査線ザ・ファイナルを思い出した。 踊る大捜査線(以下踊る〜)は、テレビシリーズの時は組織の中の人間のカタルシス的なものが上手く描けてたと思うんだけど、特番から映画になっていくにしたがって、踊る〜の良さや本質がもはや作り手側が分からなくなってしまったように感じた。踊る〜ファンはコレが見たいんでしょ?感に溢れすぎて押し付け過ぎて(そしてソレは的外れ)辟易した。

          映画感想