7月8日
子どもが10歳になった。当たり前だが10年前は赤ちゃんだったということで、そんな当たり前のことが全く頭の中で整理されてストンと胸の中に落ちない。本当に手垢にまみれて使い古された言葉だが10年前が昨日のことのように思える。ついさっきまでほんの数日前まで、目の前にいる私の手を借りず自分の世界観を持って座っている彼女は、私の腕の中におさまるくらいの行動範囲しかなかったような錯覚におちいる。実際はその年月は10年だというのに。
何事もそうかもしれないが、特に子どもの成長ほど強く感じる時の流れはない。母乳が出ずに悩んで、言葉が遅いことに悩んで、多動なことに悩んで、大丈夫だよって言われることにも悩んだ幼児期は、幼児独特の可愛さをほぼ感受できなかった。あとになって見返すあの頃の写真や動画を見て可愛くて驚くほどだ。その時の私は何も見えていなかった。
自分をずっと否定し続けてきた人生だから、何を子どもに伝えたらよいか未だに分からない。だからって誰かの・世間の・時代のアドバイスなど聞きたくもなく。矛盾で不遜な子育てをしていて、この先のもっと早く感じるであろう10年を、やっぱり途方に暮れて見てるだけ。
学校の勉強が幸せの手助けになるなんてとうてい思えない。だからって他の方法も思い浮かばない。自分なりの幸せを感じられる自分だけの方位磁石を見つけてもらうしかないけれど。その方位磁石の探し方だって教えられない。
ほとんどの人が途方に暮れている。だから途方に暮れていない人を見つけて何かを感じ取ってもらうしかない。本当は親のつとめなんだろうけど…。
情けない。謝るしかできない。本当にガチャガチャだと思う。自分だってそう思ったんだ。子どもがそう思うのは当たり前だ。親だけじゃない。国だって。この国に生まれなかったら。あの国に生まれていたら。あの人種だったら。
あの日、撃ったひとと
あの日、撃った相手は
誰もがどちらにもなりえた。
何をさっきから書いてるんだろう。最初に書こうと思ってたことと随分遠いところに来てしまった。
本当は子どもの服を整理してて、着れなくなった・着てくれなくなった服を見て、その頃の彼女の表情や匂いや感触を思い出して、もう一度戻ってあの頃の彼女を愛でたいと親のどうしようもないわがままを嘲笑してたよ
ってことを書きたかったと思っていたような。
後戻りできない。
思えば遠くへ来たもんだ。
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