1日の中で自分と対話する時間
2020.06.03.wed.
◯ 今日の響いたコトバ ◯
「わたしには、わたしの才能があるはずだ。それに気付くための努力が必要だ」(あんなばなな日記より)
ふら〜っと、頭の中で散歩している自分がたまにいる。
その自分は1日の中で何度も姿を現すときもあれば、まったく現さないときも。
現すときは考えたり想ったりしているときが多い。対象は人には限らない。
整理しようとするタイミングで、まるで持久走のように疲れるまで歩く。
「対話」
その言葉から想像するものはなんでしょうか。
人とのコミュニケーション、自問自答、自分探し、心地いい時間(とき)?
対話は「2人が向かい合って話をすること」。会話とはちょっと違う。
それぞれの人の価値観は正解もなく不正解もないので、
頭から否定することはできない、に近い。そんなことしなくていいはず。
対話は1対1。自分と散歩してる自分。空と自分もアリ。
本音って口に出せないことが多い。場合によっては怖気付くこともある。
でも頭の中で散歩してる自分って、本音でしか話せなくて超がつくほど素直。
わたしは車の助手席に座るとほぼ言葉も発さず、空を眺めてる。何も考えずに。
その時間が結構好きで、絵を眺めてるときの感覚に似てる。
その感覚がわたしの手から生まれるものに反映されていると気付いた。
空気を掴んでいるような、空気を描いているようななにかが、描いたものの中にいる。
わたしが対話している時間を残す、その時間はゆたかさと比例する。
1日の中で自分と対話する時間は、手を動かしているとき。
それは1日の大半を占める。朝目覚めたときから刻まれる。
朝起きてコップに水を入れる(喉が渇いた)
カーテンを開けて太陽の光を浴びる(何をして過ごそうか)
朝ごはんを作り、食べる(今日はどんな気分?)
出かける支度をする(どんな自分で過ごそうかな)
…
家に帰り、カーテンを閉める(今日も疲れたなあ)
晩ごはんを作り、食べる(美味しいの作れたから明日のお弁当のおかずにしよう)
お風呂に入り、寝る支度(体が浮腫んでるなあ、マッサージしよう)
絵を描く、日記を書く、音楽を聴く(1日の総まとめをする)
電気を消す(明日はどんな1日にしようか)
何気なく生活しているようで頭の中ではもう1人の自分が散歩してる。
散歩しながら対話している。
マグロのように泳ぎながら寝ないと死んでしまう、まではいかないけれど。
当たり前のように明日を迎えることができることは、努力しているから。
当たり前はなかなか壊すことができない、手強い存在。
でもそれが失くなってしまうと、当たり前だったはずの対話できなくなる。
ここ3年は自分と対話したことを整理するために描き続けている。
当たり前ではなかったことも努力次第で、才能になる。
大小で捉えてしまうのはあまり好きじゃない。才能は才能なはず。
努力はなかなか姿を現してくれない。
手紙を書くことが好きでよく贈る。
相手に投げかけている言葉は、自分にも投げかけている。
こうやって言葉を残す時間も、対話している瞬間。
たくさんあるんだよ。
自分と対話できること、その瞬間を目に見えるもので残すこと。
気付けるまで時間はかかったけど、その時間さえもかけがえのないもの。