源流は、湧き出ているから源流である。
綾の手紬染織工房で働く僕と先生の関係は、”師匠と弟子”という既存のラベルで認識されがちだ。
もちろん一般的にはそう見えるのだろうし、それが最適な言葉に思えるだろう。当人たちを除いては。
そうなると、必然的に”修行”という言葉が連関して現れる。
弟子入り→修行 とくれば”独立”となるようだ。
確かに、「将来的には独立を考えてるんですか?」みたいなことは聞かれることもある。
その時は、「なんというか、独立目的で入ってるわけじゃないですし、この環境が好きなんで」とか、「大元がなくなったら意味ないじゃないですか」的な回答をしているが、うまい表現が出てこなかった。
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で、さっきお風呂に入りながらぼーっとしてた時に
「水源って、水湧かなくなったらなくなるよなー」って。思って。出てきた言葉が表題。
源流があって、道があるからそこが有り続けるし、枝分かれすることもあれば、集まって一つになることもある。
うちの工房も、ここでの経験やあれこれが誰かの礎であったり思い出になってる。
時には地殻変動が起きて蛇行したり、埋め立てで経路が変わることもあるだろうけど、湧き続けている以上はそれが源であり、泉である。
働き始めて4年目になって、自分も積み重なっているからこそ、周りの気持ちを深く受け止められるようになった。
だからこそ、綾の手紬染織工房という源流が源流であるために、自分はそこを担う覚悟なんだなぁと。
3年前の9月に絞り出した言葉が現実味を帯びてきた気がする。はは。笑うしかない。笑って迎える。仲良くなる。
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