藍のTシャツと5年間
4月1日で工房で働き始めてまる5年が経過しまして、振り返れば4枚のTシャツがその役目を終えていました。藍染めは最初はパリッと硬いのですが、もうくたくたです。週末の僕みたい。明日も仕事するけど。
各々のTシャツが1週間に1回以上、仕事において3年間はハードに使い込んだので大体が襟のあたりとその横が破れています。最低でも200回以上は着たのでしょう。お疲れ様でした。
それを見ながら「Tシャツを見ると記憶が蘇るなぁ」と思いましたのでただ振り返るnoteです。
1. 1枚目、大学3年の夏に初めて買った猫のTシャツ
このTシャツは2013年の8月に自分の誕生日プレゼントとして買ったもの。当時大学3年生でしたが働き始めてからも使い込み、襟は当て布をし、淡くなった色は染め重ねたけれど限界が見えたので手放したもの。
ちなみにこれは2014年8月。大学4年生当時オープンして間もないaeru meguro にお邪魔して徳島の矢野さんの藍染めを買った時の写真。数年後、その矢野さんの工房を秋山と訪問し、ついひと月前もお会いすることになります。ちなみに徳島の藍染め職人の矢野さんは元キックボクサー。
2. 2枚目、工房に入って最初に買ったTシャツ
結構綺麗に見えますが、ものすごく破れています。
2015年7月、工房に入って1年目。初めて買ったTシャツです。これはもうお気に入りすぎて仕事でもプライベートでも着倒したやつ。取材の時にもよく頑張ってくれました。
(初めて自分が取材されたTV「MRT トコトン」の時)
(俵万智さんともお話しする機会がありました。サラダ好きです)
3. 3枚目、制作依頼を受けて作った"aya100"Tシャツ
2015年11月、綾町にある”ほんものセンター”の店長(当時)だった梶山さんに依頼されて作らせてもらった”aya100”Tシャツ。100年後に綾町の風景を残すというビジョンのもと東奔西走していた梶山さんを応援できたことはとってもうれしかった。このTシャツも取材の時に着用させてもらいました。Tシャツを作ること、自分が身に着けることに想いを込められるって幸せだなと思わせてくれたものです。
(2016年3月、日比谷公園でaya100のグルテンフリーカレーの販売)
(2017年12月 雑誌TURNSの取材記事)
(2018年5月 neut取材 エブリデニム兄弟&赤澤えるさん。レベッカ!)
4. 4枚目 思った柄にならなかったTシャツ
2016年8月、「こんな絞り方したらどんな柄出るかな」と思って染めたが、少し違ったやつ。思い通りにならなくても使うしかない、ということで取材の時とかは着なかったけれど、仕事着でめっちゃ着た。
(2016年8月、東京から体験にきたグループに取っていただいた1枚。でもこれも既出のaya100繋がり。うれしかった。)
(2017年2月、先生と藍を仕込んでいるのをパートさんが撮ってくれた)
この4枚を見ると、いろいろ思い出が湧いてくるので「長く使う」ことと同じくらい「使い倒して役目を終える」「新たなものと入れ替える」ことの、循環の大切さを感じる。
長く使えるものだからこそ使い倒すって大事やなって思います。もちろんTシャツに限らず先生も使い倒しますよ。
5. 最近は?
基本、無地です。これも仕事でもプライベートでも使い倒している。飽きない、上品、良い。
(2018年11月 Yahoo Japan エールマーケット)
(2019年4月 地元の「UMK U-doki 平成のひと」取材にてアナウンサーと)
(東京からの藍染め体験者! 美男美女に挟まれて。)
(群馬の養蚕を勉強しに行った時は宮崎KINAIYO!のTシャツを着てたり。)
あと1年したらまた1.2枚が循環することになりそうなので、そうなれたらいいなと思ってます。
(新しいTシャツ。3年間使い倒します。)
これからは持ち込みを染めるための専用の藍を作って、みんなの染めたい、作りたい!に答えられたらいいなと思います。軍資金50万を予め調達する方法を模索中。Tシャツ1枚10,000円で50人分とか、どうでしょう。一緒考えて実行するチームメイト募集してます!
最後宣伝ですが、養蚕の方で綾の小石丸の価値を伝えるCo-ishimaru Silk Projectやってます!!
小石丸・藍・貝紫。工房の価値はよく素材で語られることが多いけど、本質はそれだけでなく1箇所において全てが循環する環境、循環型社会が成立していることにあるのではないかと感じています。秋山からの継承と循環も。
その価値を伝えるための努力、ものづくりを実行していきます。みなさま、読み手として、サポーターとして、時に共同実行者として。
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