私は物理が苦手。でもこの本はおもしろい!【物理学者のすごい思考法/橋本幸士】
私は、小学生のときから理科系の学習が苦手だった。理由は不明。中学生の時なんか「わからないことがわからない」と、理科の先生に泣きついたこともある。
高校生になっても変わらず、理科全般が苦手で、化学反応の色を問われる小テストでは「どれか一個は当たるだろう」という思いから全回答に「白濁色」と書くなど、とにかく理科から逃げてきた。(たしか1点もらえた)
こんな自分が、小学生に理科を教えていたのだから、今考えても恐ろしい。担任させていただいた方々、すみません。一応授業での実験は失敗しないようにと、前日に予備実験を何度もやり、どうにか切り抜けてきた。そして自分が指導迷子にならないように、黒板の内容も他教科よりもやたら計画して理科の授業にのぞんでいたことを思い出す。
そんな私が今回読んだ本は、橋本幸士著「物理学者のすごい思考法」。
私にとっては、本書のタイトルにもある「物理」という文字を見ただけで「ぐあぁ〜」となってしまうのが正直なところだったが、「すごい思考法」が気になったので読んでみた。
専門用語だらけの難しい内容ではまったくなく、「日頃のあるあるを物理学者ならこう考えるよ」といった感じだ。理科嫌いの私がくすくすと笑いながら読めるほどだった。
騙されたと思ってぜひたくさんの方に読んでみてほしい。「物理学者だったら、日常生活の見え方がこうも変わるのか!」と衝撃を受けると思います。
ギョーザの定理
ある日、橋本さん家族がギョーザを作っていたところ、皮が足りなくなりそうなことに橋本さんが気づく。
僕にはこれは、チャレンジである。明らかに、理論物理学者の登場の舞台である。ギョーザの皮とタネをぴったり、どちらも余らせることなく作り終えるには、どうすればいいだろうか……僕は子供たちに、くれぐれも急がずにギョーザを作るようにと言い残して、手を洗い、ペンを握った。ギョーザの定理を書き下ろすために。
普通のギョーザの形ではなく、UFOのような形にすればタネを多く包めて、皮とタネをちょうどピッタリにギョーザを作り切れるのではないかと、橋本さんは思いつく。しかしギョーザの定理と証明が完成した頃には、ギョーザは作り終わっていた。
僕は憤慨して妻に尋ねた。
「これやったら、皮、むっちゃ余ったやろ?」
妻は冷静に答えた。
「ワンタンスープに使ったよ」
多くのエピソードに、橋本さんの奥さんが登場してくるのだが、その奥さんの一言が最高におもしろい。橋本さんは目の前の課題に対して、物理学者の視点から解決しようと試みるのだが、わりと奥さんの言葉に一蹴されてしまうようだ。
もし私だったら、タネだけ余ったら肉団子スープなどにしてしまうだろう。もちろん奥さんのワンタンスープという切り替えも納得だ。でも、物理学者はそうではない。その思考もおもしろいし、橋本さんの物理愛を受け入れながらもしっかりとやることはやるといった奥さんの姿がなんともいい。
ちなみに本書にギョーザの定理の実物がのっているのだが、本当に細かく書かれていて見事なのでぜひこれだけでも見てみてほしい。
橋本さんと奥さん
恐る恐る、妻に聞いてみた。「僕の物理が今まで結婚生活で役に立ったことあるっけ?」。妻は考え込み、しばらくして、晴れやかな顔で次のように答えた。「洗濯物ハンガーの洗濯バサミが絡まっている時、ハンガー全体をある周期でガチャガチャ振れば絡まりがとれる、ってアンタ発見したやん、あれむっちゃ役に立ってるで」。つまり、僕の素粒子物理学が役に立っているわけではなく、物理学的思考が少しだけ生活に役に立っているようだ。
ある周期でガチャガチャ振れば、絡まりがとれるというのを発見したという橋本さんが、まずすごい。そして、その問題について熱心に解法を導く橋本さんを、温かく見守っていた奥さんを想像すると、なんだか微笑ましかった。
橋本さんは、スーパーでよく人にぶつかったり、どこかを見つめて数字のことを考えていたりと、物理に集中して周りが見えなくなることがあるそうなのだが、そんな橋本さんに奥さんはいつも優しい。
もしかしたら奥さんも、付き合った当初は対応も違ったかもしれないが、橋本さんのことを尊重していることがよく伝わってくる。どれだけ物理に没頭しても、許してくれる奥さんがいるから、橋本さんも物理の研究に集中できるのだろう。
自分のありのままを受け入れてくれるパートナーの存在は、本当に大きい。私も、もっと旦那さんのありのままを受け入れよう。橋本さんと同じように、旦那さんがポケットにハンカチを入れたまま、ズボンを洗濯に出していたとしても。受け入れよう……ありのままを。
物理学者の考え方
娘の誕生日を家族で祝っている時に、「もう太陽の周りを16周もしたんだね」と感慨深く感想を言ったら、娘が妙な顔をした。どうも、その表現がしっくりこないらしい……もちろん、「生まれてから地球が6000回ほど自転したね」という表現は、なおさら悪いのである。
娘さんに賛成一票。普通に「16歳おめでとう」と言ってくれたらいいものを、物理学を織り混ぜてこられたら「?」となる。しかも、年頃の女の子にサラッとこんなことを言えちゃうあたりも、橋本さんはすごい。
物理学者の会話が、外から見ると理解されにくいということはわかってらっしゃるそうだが、それくらい物理のことが大好きで、語らずにいられないというところが素敵だ。
寒い中、研究室40人でバーベキューに行った。薪を組んで火をつけようとした時、マッチがないことに気づいた。予想通り僕らは、その後30分間、どうやって薪に火をつけるか、という問題で大いに議論し、盛り上がった。そう、我々は理論物理学研究室である。
40人もいたら、誰かがすぐ買ってくるとなりそうなところだが、さすがは物理学者の集まり。寒さよりも物理。バーベキューよりも物理。それを止める人は誰もいない。なんて幸せな環境なのだろう。
橋本さんにとっての「ウヒヒ」
一般に社会で広く受け入れられているのは、研究とは長く苦しいもので、それに耐えた者だけが研究成果という栄光を手にする、という「研究者像」である……実は、研究そのものが苦しいのではない……ある一定の苦しみの後に、なんらかの発見があり、「ひょっとしてこのことを知っているのは世界で僕一人なんじゃないか」という「ウヒヒ」的な喜びを味わう。これが、研究が病み付きになってしまう麻薬的な理由である。
「ウヒヒ」という表現がチャーミング。橋本さんは研究の過程に苦しいことがあっても、最後の「ウヒヒ」を求めているということだったのか。いつでも、日常生活で何か気になることがあると、自分にしか気づかなかった問題、解法に気づいて「ウヒヒ」をしていたということになる。
そんな橋本さんは、まさに「好きを仕事に」している方。私からすると、苦手な物理を仕事にするなんてすごい!と思ってしまうが、ただ好きだったことを続け、追求していったのだと感じた。
私にとっての「ウヒヒ」ってなんだろう、とふと、考えてしまった。以前より本をよく読むようになって、ある本と別の本とで共通点が見つかると「ウヒヒ」だし、自分が考えていたことと似たようなことが見つかると「ウヒヒ」となることはたしかにある。これが今のところ、私にとっての「ウヒヒ」だ。
日常に当たり前が増えてきた今こそ、毎日の生活に「ウヒヒ」と感じる何かを探し続けていきたいと思った。
* * *
全然関係ないですが、「ビッグバン★セオリー」というアメリカの人気ドラマが、橋本さんなどの物理学者たちの生活や思考をよく表していると思います。めちゃくちゃおもしろいです。
私のように身近に物理学者がいない方にこそ、ぜひ本書を読んでみてほしいです。同じ景色でも、人によって見え方って全然違うのだなあとあらためて感じました。
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