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血の通った産業

三浦春馬くんは、自らの命を賭け、そして命を削り戦ったフィールドを「血の通った産業」と表現したらしい。

私もかれこれ10年以上、その血の通った産業の末端で細々と働いている。彼ほどの情熱を持てず、ただの惰性で。

彼が亡くなって2日後、彼と何度か共演したことのある方と初めてお仕事をした。その方は、現場で常に笑顔を絶やすことなく、とても感じがよかった。顔は疲れているように見え、目は少し赤かったけれど。

彼が亡くなって1ヶ月後くらいに、おそらく彼が亡くなる前日まで共演されていた方と初めてお仕事をした。私たちが求めるものを、完璧にこなしてくれた。当然ながら現場でその話は出ないし、することはない。何も語らずに、ただ完璧に。

そして、最近、春馬くんが最後に立った舞台の上に、私も仕事で立たせてもらった。もちろん、出る方ではないけれど。この場所で、どんな気持ちで、彼は「血の通った産業」だと訴え語ったのだろう。彼と同じ場所で、彼が眺めた景色を見ながら考えた(私の目の前に広がる景色は無観客だけれど)。

正直、あの7月18日が無ければ、何も感じなかったと思う。誰もがただの仕事相手で、ただの仕事現場で。私は私のやるべきことをするだけで。それで終わりだったのだと思う。

だけど、この数ヶ月で、本当にたまたまだけれど、彼の軌跡、生きていた証を感じる人や場所に縁があり、改めて、この血の通った産業で命を賭けて、削って勝負している人たちに尊敬の念を抱いた。

みんな、プロフェッショナルなのだ。特に彼と関わりがあった方たちは、辛くないわけがないし、苦しいはず。でも、その悲しみを殺して、それぞれが表現者として、自分の仕事を全うしているのだ。

本当に思う。

私は、今ここで何をしているのだろう。何も生み出せず、ただ漫然と。せっかく血の通ったフィールドにいるというのに。

そして、本当に思う。

彼は、小さいときから、この激しく厳しい世界でずっと戦っていたのだ。だからきっと、ちょっと休みたくなったのだ。今はゆっくり、苦しみから解き放たれているはずだ。そうであって欲しい。いや、そうでなければいけない。

彼が駆け抜けた30年という、短いけれどきっと濃かっただろう生涯に思いを馳せるとき、私は自分が恥ずかしくなる。彼より年は上だけど、でも考え方も生き方も生ぬるく幼稚だ。

彼の分までとは言わない。だって、彼ほど立派にはなれないから。でも私はちゃんと生きないといけない。丁寧に、誠実に。そして一歩一歩確実に。





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