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三浦春馬くんを想う

高校生くらいまでは文章を書くのが好きで、

それこそ作文の授業なんかは、言葉がおりてくる、

みたいな感覚があったけれど、大人になって、

日々の忙しさにかまけて、じっくり考えることをしなくなり、

面倒臭いからあとでいいや、とその時の気持ちにきちんと

向き合わなくなり、いつの間にか文章を書くことから

遠ざかってしまっていた。

誰に何かを伝えるわけではない。でも、

きちんと自分の気持ちに向き合いたい。

そう思うようになって、自分的備忘録としてnoteを始めてみようと思う。


そう思うきっかけは、7月18日。

会社で仕事をしていて、気分転換に開いたYahooで

「三浦春馬、死亡」という文章を見て、

思わず、えっ!と声が出てしまった。

事故かな?病気かな?と思って、次のページを開いたら、

まさかの自殺、と。とっさに、友人にメールを送ってしまった。

ファンでもなんでもなかったから、顔はなんとなくわかる、

イケメン若手俳優の三浦春馬。うん、わかる。

でも、「三浦春馬、死亡。自殺か?」の日本語が、わからない。

繋がらない。そう、本当に意味がわからない。


でも、その時動揺はしたけれど、別にファンでもないし、

仕事を終わらせないといけないし、そのままなんとなく気持ちは薄れて、

同業者として、

その日の夜に放送されるコンフィデンスマンはどう対処するんだろう、

まあやっぱりテロップ表記で乗り切るしかないよな、

ぐらいの、本当に、軽いふわっとした気持ちだった。


だけど、いつからだろう。

心がとらわれてしまって、毎日苦しい。

多分あの日から1週間、2週間はそんなこともなかったと思う。

でも、いつからだろう。

毎日毎日考えるし、生きていた証を確かめたくて、

DVDとか書籍とか異常な勢いで買いあさって、

でも辛くて1人では見ることができなくて、

どんどん部屋の隅に未開封の箱が溜まっていく。


どうしてだろう?何が彼の心を蝕んでしまったのだろう?

という疑問と

楽になれたのかな?後悔していないかな?

という願望にも似た思いと

丁寧に生きていたであろう彼と比較して、

何も生み出していない、ただ怠惰に生きる自分への失望と

そして生まれた希死念慮、そこに救いを求めるような気持ちと。


毎日毎日、ぐるぐると巡っている。

もう囚われてしまっている。


なぜかわからない。

ただのイケメン若手俳優という認識しか持っていなかったのに、

亡くなったあとにその人柄に魅了されて、

本当に美しい人だったんだと苦しくなって。


実際の彼を知っている人たちは、もっと苦しいでしょう。

でも多分少しずつ前を向き始めている。そうしないと、彼が悲しむからと。


だけど私は、どうなんだろう。

一瞬でも考えなくなったら、それは悪いことのような気がしてしまって、

あえてその闇に自分を落とし込みたいような、

本当にそんな気持ちになっている。


答えは見つからない。

でも、この場ではその気持ちに向き合って、何かを導きだしたい。

すがるような、切なる願い。









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