7月から新しい仕事をはじめました。 新しいチャレンジは楽しいです。 まぁ、それはそれとして、 最近よく思うことが、自制と自由ということが いかに大事かってことをよく考えています。 自制できぬうちは自由とはいえぬって言葉があるけど、本当にそうだなと昔から 思ってました。 自由というのは、自制できるからこそであり、 自制は、人格的な強さが求められるものだと思います。 でも、これらはほんとに積み重ねだなと思い、 強さを持つためには乗り越えることが必要で、 乗り越えるた
5月にスタートして1ヶ月、英会話終わりました。英会話スクールに通って、 英語を話すことに自信がついた! 英語は日本語と比較すると、 組み立て方さえわかっていれば、 応用がききやすい。 今後は、文法、単語をもっと勉強することと、 なるべく英語に触れる機会を意図的につくることかなって思いました。 授業はいつも楽しかったのですが、 わたしには短期くらいがちょうどよかった。
火曜日のことですが英会話スクールで 6回目の授業を受けてきました。 基本マンツーマンで先生と40分ひたすら 英語で会話しています。 先生はもちろん外人で、いつもフレンドリーに ナチュラルに英語で会話してくれるので、 最初の1.2回は恥ずかしさもありましたが、 5回目ともなれば、すっかり慣れて、 自分のオリジナルの話法や単語をプラスすることまでできるようなりました。 そして、先日の6回目の授業から 難易度がぐんとあがり、単語やフレーズが頭に浮かばず、固まるという現象で自信
犬はとても素直です。 いつもかまってほしいって、 愛嬌をふりまいてます。 でもどうしても眠くて、眠くて、 眠くて仕方ないけど… 私が日曜日に家にいると 私の行動が気になって、仕方ありません。 私に遊んでもらうタイミングをねらって、 じっと見つめてきます。 とてもかわいいです。 ただ、やはり、眠気に勝てず寝ちゃいました。 寝顔もとてもかわいい。 #犬 #犬との生活 #かわいい #寝顔
中学1年で転校をしたので、転校先の学校のカリュキュラムが全く違うという理由から 中学英語の基礎を半分くらいできていないといのは言い訳ですが… 英語はあまり好きではないです。 高校時代にオーストリアに短期留学して、 ホームシックになったことが理由ですが、 英語圏での生活は私には向いていないと 自覚し、英語はもう勉強しないと思っていました。 (英語が理由ではなく、ただ寂しかっただけ。笑) 大学では、経済や商業の勉強をしていて、語学もフランス語を専攻し、英語はずっと避けてきた分
最近不安におもってることは何?っていう友達のお題について、考えてみた。 **「なんでもいいから、おもったこと書いてみて」 **って紙とペンを差し出された。 私はとっさに「怖い」という言葉が出てしまったのです笑 こわい、どうしよう…って連呼しながらも 最近不安におもっていることを1つだけ書き、 友達はそれについて深く掘り下げてくれました。 「不安になると、どうなるの?」●声が小さくなる(昔から声が小さいからより小さくなる…笑) ●言葉数が少なくなる ●心はざわざわ
日本文化の基礎となる型文化は、その中での自由さや、繰り返しの訓練により質を上げて行く良さがある。 茶道においても、ふるまいや ものの見方においての型を身に付け、人間関係を大切にするための合理的な品性を受け継いできたと思う。 一方で、無駄なものをそぎ落とし、移ろいゆくもの、未完成のものを美しいとする美徳がある。 500年前に千利休が広めた いびつな茶器 というものがあるが、日本人は完璧から少し外れたものに一種の美意識を感じていると思う。 型や常識に囚われない自由な
見返りを期待し、無意識のうちに自分が相手にとって必要な人であると思ってもらいたかったり、相手に感謝を期待してしまうものだと思う。 自分が尽くした割に思うようにいかなくても 結局、自分がいなければ相手はやっていけないと思い込むことによって、自己価値を見いだそうとしてしまうという感情もある。 価値観や性格があう相手であれば心地よいけど、 そこに不一致がある、 その溝を埋めようとすると、必要以上に労力を使う。 相手を変えることは、相手の問題なので、 相手が気が付かない限
①自分が遭遇している状況について 感情は、目の前の状況に反応しているだけで、物事を正確に判断する基準にはなっていない。いま自分が遭遇している状況の心の反応は、客観的なものではなく、自身の内なる問題に関係している。 ②感情は自分の内面のもの 自らの感情は、誰かのせいではないし、誰か他の人が解決すべき問題でもないと思っている。また、これまでの経験は行動の結果だと理解している。なので、過ちは、誰かが正すべきという消極的ワナには、はまらないようにしていて、常に自分ごとと捉え